静寂に満ちた空間と幽玄な世界
19世紀ドイツ・ロマン派の画家フリードリヒが描く絵は一種独特です。
この人の絵を観るといつも不思議な気分になります。
しかし、しばらくすると絵に深く引き込まれている自分がいることも発見するのです。
代表作「氷の海」のピーンと張り詰めた緊張感と異様なまでの静けさはどうでしょう……。
氷が砕け、その破片がむき出しになり、よく見ると後方に沈没した船らしきものも目に飛び込んできます。この緊迫した状態を何事もなかったのかのように客観的に描ききっていることに、おそらく誰もが息をのむに違いありません。
劇的な表現をしているわけではありませんし、誇張したり、デフォルメを加えているわけではないでしょう。むしろ淡々と現実の出来事を断片的に描いているだけなのですが、そのことがかえって自然の脅威と人間の無力さを雄弁に伝えていくのです。
フリードリヒの絵は寂しい自然や人間の孤独をテーマにすることが多く、心象風景のような趣が画面全体に漂っています。
登場人物も大抵は後ろ向きで、横向きに描かれていても表情を特定することすらできません。そこにはあえて感情を押し殺し、喜怒哀楽を拒絶してしまったかのような極めて体感温度の低い世界が拡がっているのです。
人物を描く場合も、一般的な「人と自然」という対比型のアプローチではなく、あくまでも「自然の中の自分」というように、自然の中に組み込まれた包括型のアプローチを示しているのです。
それがフリードリヒならではの独特の世界を創り出しているのは間違いありません。
人生観を変える少年時代の出来事
人は幼い頃や多感な時期の思いがけない出来事が、その後の人生を大きく左右するようになったりするものです。
それが思わぬ形で自分に降り掛かった場合はなおさらそうでしょう。
フリードリヒの場合もそうでした。
7歳の時に彼の母が亡くなったのが最初でした。
それ以降、フリードリヒの人生は数奇な運命を辿るようになります。
翌年、妹のエリーザベトが亡くなり、1791年には妹のマリアが発疹チフスで亡くなります。
そしてフリードリヒにとって忘れようにも忘れられない出来事に遭遇することになります。
13歳の時に氷が張った川でスケートをしていたときのことでした。突然氷が割れてフリードリヒは溺れてしまいます。それを見た弟のクリストフが必死に助け出すのですが、逆に弟が溺れ死んでしまいます。
このことでフリードリヒは強い自責の念に駆られ、次第にうつ病を患うようになります。何度も死のうと思ったようですね。
それはそうかもしれません……。自分の命を助けてくれた弟が自分の身代わりに命を落としてしまったのですから……。冷静に捉えること自体難しいことでしょう。
結局このことが彼の人生に暗い影を落とすことになり、罪悪感とともに、何ともやりきれない想いを抱え込んでしまうことになるのです。
ただし、死に直面し、それをしっかり受けとめたことが、フリードリヒのさらなる芸術の深化を促すきっかけになったのかもしれません。
かすかに伝わる未来への希望
温もりや人間感情の描写を一切拒絶したように見えるフリードリヒの芸術ですが、絵自体は非常に繊細で格調が高いことも確かです。
神秘的で非日常的な空間を描き、研ぎ澄まされた特別な空気を感じさせるのも、他の絵画にはない特別な魅力の一つです。
「氷の海」もむき出しになった氷の破片が無造作に目の前に拡がっているだけのように見えますが、実は念入りに計算されたシチュエーションのもとに成り立っている絵なのです。
たとえば割れた破片が積み重なってはいるものの、その破片が上方から射し込む光の方向へ向かっているのはかすかな希望を感じさせます……。フリードリヒは悲惨な光景の中にもキリスト教的な救済の象徴を暗示させたかったのかもしれません。
この絵で唯一の救いがあるとしたら、そのような一点の光と未来への希望でしょう…。また不慮の事故で世を去った弟への追悼の意味も込められているのかもしれませんね。
日常の中にある非日常的な現実…。
それは人間の力ではどうすることもできない宿命的な現実があることをフリードリヒは静かに伝えているようにも思えます。