アーティストを著しく選ぶ歌曲
シューベルトやショパン、メンデルスゾーン、シューマンなど、いわゆるロマン派の大作曲家の作品は、いずれも美しくデリケートなメロディラインが魅力的で、彼らの大きな持ち味になっていることがわかります。
中でもシューマンは美しい旋律とロマンチックな感情の表現、余韻など、ロマン的な気質のすべてを持ちあわせた人といえるでしょう。
シューマンの作品は瞬間的なきらめきや雰囲気に重きを置いたデリケートな曲調の作品が多いため、演奏は難しく、中でも歌曲の演奏は著しくアーティストを選ぶことになってしまいます。
シューマンの歌曲は「詩人の恋」にしても、「リーダークライス」にしても、情感の変化を表現するのが容易ではなく、特に「女の愛と生涯」の表現の難しさは半端でありません。
心から作品に共感し、大事に奏でないと音を立てて崩れてしまいそうな美しいメロディライン……。
メロディをどこまで引き立たせ、感情をどこまで吐露するのか……。このバランスの組み立てがとても難しいのです。
メロディの美しさのみを強調すると平坦な歌になりやすいし、かといって感情表現にウエイトを置きすぎると、しつこい感じになってしまいます。
この脆さこそ「女の愛と生涯」の最大の特徴で、魅力ともいえるでしょう。
女性の様々な情感を格調高く表現
1曲めの「あの方を見てからというもの」から穏やかでみずみずしい情感が漂います。
その表情はあくまでも控えめながら、驚くほどデリケートな女性の心情や言い尽くせない心の想いを伝えていくのです。
運命の人と出会ってから、あらゆるものが輝いて見え、希望と幸福感でいっぱいの気持ちを歌い上げる第二曲「誰よりも素晴らしいお方」。
婚礼の喜びをしみじみと歌い上げる「わたしの指にはまっている指輪よ」。そして夫の死に直面し、別れを受け入れることができず、深い失意や悲しみで綴る終曲の「あなたはわたしにはじめて苦しみをお与えになりました」。
いずれも運命的な出会いから、最期の別れに至るまでの、彼への慕わしい想いが詩的な表現として高められているのです。見つめる眼差しが愛情と優しさに満ちあふれているのが伝わってくるようですね。
この歌曲は女性歌手ならば、一度は歌ってみたい作品であることも間違いないでしょう……。
ピアノパートもリートの単なる伴奏ではなく、心の動きや陰影を雰囲気豊かに描きだします。
それは伴奏というより、言葉では表現できないデリケートな感情や内面の世界をものの見事に映し出しているといっていいでしょう。
たとえば1曲めの出会いで流れるピアノのテーマは、終曲のエンディングで再び懐かしく愛おしむように登場します。
言葉では表現出来ないデリケートな想いを歌とピアノでそれぞれの特徴を活かしながら役割を担い、補完しているのが印象的です。
オジェーの自然でチャーミングな歌唱
演奏ですが、本質をとらえた名演奏(名歌唱)にはなかなか出会えません。
曲がソナタ形式やリズムを主体にした作品ではなく、雰囲気や抒情性、感情を主体にした作品なので、歌いすぎると本質からドンドン離れていくという結果になりやすいのです。
その上、困ったことに繊細で壊れやすいガラス細工のような性格を持っているので、歌手の歌声に存在感や癖があると尚更よくありません……。
そんな折、一枚のCDがスーッと心を捉えました。
アーリーン・オジェー(ソプラノ)、ワルター・オルベルツ(ピアノ)(シャルプラッテン)がそれです。録音は1977年5月ですから、すでに40年以上前の録音になります。
発売元のシャルプラッテンは東ドイツのレコード・レーベルで、ドイツ統一後は事実上消滅した形で、音源や著作権は売却されるという経緯をたどっています。
それはそうとオジェーの歌声はそんな政治や社会情勢とはまったく無縁のすばらしさを伝えてくれます。
何よりオジェーの透明感のある清澄な歌声が、乾いた土に水が染みこむように心を潤してくれるのです。
その歌声は決して声高にインパクトを与えたり、表情をつけたものではありません。しかし曲を聴き進むにしたがって、その穏やかで自然体の歌声は増々忘れられないものとして心に刻まれていきます……。
一曲目からまったく無理強いのない柔らかな歌唱、いい意味での枯れた味わいが音楽の心と真髄を伝えてくれるかのようです。
オルベルツのピアノも地味なように聴こえるかもしれませんが、オジェーをしっかり支え嫌味のない音楽を作りあげていくのです。