ニューウェーブが到来した1980年代
1980年代から1990年代にかけてクラシック音楽の演奏に大きな変革の波が訪れました。いわゆる「オリジナル楽器(古楽器)の典雅な響きを現代に蘇らせよう」という古楽の研究者やアーティストの積極的な動きが一気に高まった時代だったのです。
その動きはバッハやヘンデルをはじめとするバロック音楽や初期の古典派音楽の演奏で顕著に現れるようになりました。
それまでのスケールが大
それはすなわちモダン楽器から、オリジナル楽器への大転換の時も意味していたのでした。
その当時、
彼らの演奏によってバッハやヘンデル作品の隠れた魅力が大きく
しかもヘンデルやラモー、ヴィヴァルディのオペラをはじめとして、テレマン、
マンネリからの脱却
この一連の古楽器演奏の大きな波を快く思わなかった人たちも少な
それはそうでしょう……。
今まで絶対だと思ってきた音楽の考え方が根底から覆されようかという出来事なのですから。
時代考証ということで、学究的な匂いや理論ありきというスタイルを崩さなかったのも歓迎されなかった一因なのでしょう。
しかしオリジナル楽器演奏の意欲的な挑戦がもたらした恩恵は、はかり知れないほど大きかったのも事実です。
良いと思ったらドンドンそれを実行していこうとする古楽関係者の姿には好感が持てましたね…。
音楽は「こうあるもの」、「こうであるべき」という偏見や既成概念を持つのは芸術にとって決して好ましいことではありません。
それは発展でも何でもなく、むしろ芸術のあるべき姿から逆行していることも少なくなく、創造性や自由な発想を押さえつけてしまうことにもなりかねないのです。
1980年代から本格的に古楽演奏が時代を席巻してきた中で、現在はかつての勢いや新鮮さはすっかり影を潜めてしまいました。
それよりも多くの人が古楽演奏や現代楽器演奏に対する区別や好みはあまりなくなってきたというのが本当のところではないのでしょうか。
やはり主義や理屈云々よりも、ただただ中身のある演奏をしてほしいというのがあらゆる音楽ファンの偽らざる心境なのかもしれません。
そんな中で何気なく聴いたラインハルト・ゲーベル指揮ベルリン・バロック・ゾリステン(ヘンスラー)のヘンデル・合奏協奏曲作品3には大きな衝撃を受けました。
成熟したピリオド奏法と演奏
今回のゲーベルの演奏を聴いて実感したのは、「ついにピリオド奏法もここまできたか…」ということですね。
オリジナル楽器の演奏は大抵は造型やリズム、テンポのとり方がスッキリしていて、スタイリッシュ。いい意味で爽やかで癖がなく、耳に快いものがほとんでした。しかし無機質な感じがするとか、薄味でアプローチが浅いと指摘されることもしばしばだったのです。
しかし今回聴いたラインハルト・ゲーベル指揮ベルリン・バッハ・ゾリステンの演奏は一味も二味も違いました。
まず驚いたのが、これまで様々な名演や個性的な演奏を聴いてきて、「もうお腹いっぱい」という状態だったヘンデルの合奏協奏曲作品3の
その魅力をひとことで言うと、正統的な演奏を基調にしたオリジナリティ溢れる演奏ということになるでしょう。
それもそのはず、ベルリン・バロック・ゾリスデンのメンバーはベルリンフィルの元メンバーがズラリと顔を揃えるなど実力者揃いです。演奏はモダン楽器を使用しながら、スタイルは作品に応じてピリオド奏法にするなど変幻自在の演奏を実現しているのです。
かなり速いテンポや思い切ったアプローチをしているにもかかわらず、奇をてらった快速なテンポとか、大袈裟な表情をつけてるという感じにはまったく聴こえないのです。
ゲーベルが1980年代にムジカ・アンティーク・ケルンを率いて録音したバッハのブランデンブルク協奏曲全曲は、当時としては良くも悪くも大胆すぎると話題になりました。
しかし30年という時を数えて、このヘンデルは堂々の正統的な演奏に変貌しているではありませんか……。
ヘンデルらしい明るさと無限に移り変わる叙情性、感性豊かな楽器の音色も音楽に彩りを添えます。
また、音楽の軸がしっかりしていることにも驚かされます。
軸がしっかりしているというのは、むやみにテンポを早めたり、
また内声部の充実度にも目を見張ります。 主題の対旋律にどれほどの意味が込められていたのかが伝わってくるようです。
ソロで活躍する楽器の感情移入も実に味わい深いですし、合奏のバランスのとり方、フレーズの呼吸も抜群としか言いようがありません。
合奏協奏曲作品3にこんなに聴く喜びが隠れていたなんて、ちょっと驚きです……。