最近ヘンデルのオペラ・オラトリオで新世代の指揮者の台頭にめざましいものがあります。
中でもアルゼンチン出身の指揮者、レオナルド・ガルシア・アラルコンの活躍は際立っていますね。
2010年以降、ヘンデルの大作オラトリオ、『ユダスマカベウス』『サムソン』『セメレ』等を発表し、どれもこれまでになかった新機軸の演奏でセンセーショナルな成功を遂げています!
もちろん決して話題性ばかりではなく、ヘンデルの本質をしっかりつかんだエキセントリックな演奏は何ものにも代えがたい魅力でいっぱいです。
今回はヘンデルのオペラ・オラトリオに新たな魅力を切り開いた新世代の天才指揮者アラルコンの魅力に迫ります。
同時に2019年に演奏されたヘンデルのオラトリオ・サウルの完全版動画が現在Youtubeで公開されています。
今回は今後の活躍が大いに期待される指揮者のアラルコンにスポットをあててみたいと思います。
ワクワクするヘンデル声楽作品
音楽史上、ヘンデルのオペラやオラトリオは特別な領域に位置します!
もちろん古今の作曲家がたくさんの声楽曲やミサ、オラトリオといった作品を作っているのですが、ヘンデルの作品は他の作曲家にはない特別な魅力があるのです。
それが何なのかという事を、うまく表現するのはなかなか難しいのですが、ひとつだけいえることがあります。
それはどんなに打ちひしがれた哀しいメロディでも、寂しい主題のアリアであったとしても、絶えずどこか大きな懐に抱かれるような安心感があるのです……。
もちろん、長調の壮麗なフーガや自由奔放で柔軟なリズムの主題は生命の躍動が脈々と伝わってくるかのようです!
またオペラやオラトリオの諸曲は人間の醜さ、純粋さ、崇高さ、剛毅さなど……、生き生きとした人間感情を見事に表現して比類がありません。
しかしヘンデルのオペラ、特にオラトリオはスコアの指定が大まかに書かれているため、かえって演奏が難しく、これまで名演奏の実現がなかなか難しい状況でした。
オラトリオの真価を決定づけたヘンデル「サウル」
そこに登場したのがアラルコン指揮のヘンデルの傑作オラトリオ「サウル」です!
「サウル」はヘンデルがオペラからオラトリオへ転身するきっかけとなったオラトリオ史に燦然と輝く傑作中の傑作です!
「サウル」を作曲した1739年は彼にとって文字どおり大きな転機でした。
ヘンデルのオペラはイタリアやロンドンで大喝采を浴びていたのですが、彼が所属する王立音楽アカデミーの杜撰な経営により1737年に倒産してしまいます……。
もはやオペラ作曲が困難な状況に追い込まれたヘンデルは新たなチャレンジに打って出たのでした。
それがオペラのような感覚と特性をふんだんに持ったオラトリオ(聖書を題材にした宗教的声楽劇)の作曲です。
これが幸か不幸か、ヘンデルの作曲スタイルはもちろん、彼自身の目指す表現の本質にもぴたりと合致したのでした!
特に1739年作曲の「サウル」は、彼の真価を世に知らしめ、オラトリオの絶対的な存在価値を音楽シーンに決定づけた大傑作です。
劇的オラトリオといわれるだけあって、圧倒的な迫力、スケールの大きさ、豪快で奔放な表現など、思わず息を飲む場面が目白押しです。
またしっとりとした美しいアリアや鎮魂歌も随所に配置されていて、豪快だけではないヘンデルの音楽性の真骨頂を見る想いがするのです。
アラルコン、堂々の名演!
「サウル」の演奏に戻りましょう。
2010年頃からヘンデルのオペラ・オラトリオの演奏で彗星のごとく現れたのが、ベルギーを拠点に活動するレオナルド・ガルシア・アラルコンです。
アラルコンの指揮スタイルは、イギリス人指揮者によく見られるスタイリッシュで格調高い演奏とは一線を画するものです。
指揮姿からもよくわかりますが、音楽への没入、入れ込みかたが半端ではありません。情熱的で強い意志に貫かれた演奏はヘンデル作品のさまざまな魅力を掘り起こしてくれるのです!
冒頭の序曲終了後、第1幕の合唱が始まるやいなや、物凄い気迫と情熱で楽団や合唱団を統率していく姿に驚かされますが、隅々まで意思を通わせる確かな音楽作りに圧倒されます!
しかもそれは力づくなのではなく、音楽が要求している本質的な表現をたぐり寄せるために最大限の注力をしているのです。
ソリストたちの熱唱や合唱の素晴らしさは言うまでもないのですが、全体を強い紐のようなもので結びつけるアラルコンの「サウル」は思わず引き込まれますし、見どころいっぱいです!
ヘンデルファンだけでなく、音楽ファンにも見逃せない必見のオラトリオ公演の動画といえるでしょう!
しかも高画質で臨場感あふれる「サウル」の完全版演奏が見られるのはうれしい限りです!
【第1部】
【第2部】
オラトリオ:ヘンデル「サウル」Handel – Saul
Cast
- クリスチャン・インムラー Christian Immler(Bass :サウル、サムエル)
- サミュエル・ボーデン Samuel Boden(Tenor ジョナサン)
- ローレンス・ザッツォ Lawrence Zazzo(countertenor:ダヴィデ)
- キャサリン・ワトソン Katherine Watson( Soprano:メラブ)
- ルビー・ヒューズ Ruby Hughes(Soprano: ミハエル)
- ミレニアム・オーケスラ Millenium Orchestra
- ナミュール室内合唱団 Chœur de Chambre de Namur
- 演出 ・指揮 レオナルド・ガルシア・アラルコン Leonardo García Alarcón
- 撮影 オリヴィエ・ハーマン Olivier Herman
- 記録 2019年7月4日
アラルコン指揮のヘンデル作品
ユダス・マカベウス
思わせぶりな表現、余計な曖昧さを可能な限り排除したストレートで求心力の高い演奏です!
とにかく音楽に勢いがあります。ナミュール室内合唱団のハーモニーものびやかで、音楽に強く共感していることが端々から伝わってきます! そのことが音楽に陰影を与えて、豊かな表現を生み出す要因になっているのでしょう。
タイトルロールを担当したテノールの櫻田亮は類い稀な美声と表現力で最高に存在感を発揮しています!
サムソン
これまでのサムソンの演奏からすれば、かなり個性的な演奏です。
しかしまったく奇をてらわず正攻法で演奏を成し遂げるアラルコンの表現力と情熱は、ただごとではありません!
表面をきれいにバランスよく響かせようとするのではなく、ひたすら音楽が求めているものが何かを強い意思でアプローチすると、ここまで表現できるという最大の好例かもしれないですね。
セメレ
ナミュール室内合唱団のハーモニーの美しさが際立ちます!
それはアラルコンの妥協を許さないポリシーが反映しているからでしょうし、楽員に強烈に浸透しているのが伝わってきますね!
声楽陣のソリストたちはやや癖がありますが、まずまずの出来栄えといったところでしょうか…。
そのいくぶんの物足りなさをカバーするのがナミュール室内合唱団の美しさです。アラルコンのアドリブのような自在で本質をズバリ突いた表現もお見事です。