『フレデリック・ショパンの肖像』という絵を皆さんはご存知でしょうか?
言うまでもなくピアノの詩人で大作曲家のショパンその人を描いた絵です。
「あっ見たことある!」「ショパンのプロフィールでよく見るよね」など、意外に馴染み深い絵かもしれません。しかもこの絵はただの肖像画ではなく、さまざまなエピソードが隠されていたのです…。
ロマン派の巨人同士の出会い
一枚の絵に隠された歴史
ただしこの絵にはさまざまなエピソードが渦巻いています。
その一つに、元々この絵はショパンのみを描いた肖像画ではなかったということです。
この絵が描かれた頃、ショパンとジョルジュ・サンドは同棲しており、お互いに必要とする関係だったのでした。
『ショパンの肖像』にはドラクロワが描いたラフスケッチが残っています。それを見ると、ピアノを弾くショパンとサンドが並んで描かれているのです。
ではなぜ一枚の絵が二枚に刻まれるようなことになったのでしょうか……。事の発端はドラクロワの死後、未完成のままアトリエに眠っていた絵が競売にかけられたことから始まります。
当時のこの絵のオーナーが一枚よりも二枚にしたほうが高額で売却できると目論んだからなのです。人の欲は際限なしといいますが、これもその典型的な例かもしれませんね。
結果的には裁断された二枚の絵は、どちらも著しくトリミングされたものとなったのでした。
ショパンの肖像画はヘッドショットのみになり、サンドのほうは上半身中心にカットされていています。でも幸か不幸か、あまり違和感を感じないのは、裁断されてもそれぞれが絵としての魅力を失ってないからなのでしょう。
現在ショパンの肖像画はパリのルーブル美術館に、サンドの肖像画はデンマーク・コペンハーゲンのオドルプガード美術館に所蔵されています。
ジョルジュ・サンドとの関係
ショパンと長く生活を共にしたジョルジュ・サンド(1804-1876)は「愛の妖精」をはじめとするロマン派文学の作家で、フランスで初めて世界的な評価を獲得した女性の一人です。
1836年にショパンと出会うと、1838年からショパンが亡くなる2年前までの10年間、ショパンと交際を続けたのでした。
男勝りでフェミニスト的な発想を持ち、ショパンを「坊や」と呼んではばからないようなサンドとの生活がはたしてショパンにとって理想だったのかどうかはいまだに謎です。
しかし、ただ一つ言えるのはサンドと生活を共にした10年の間に、ショパンはピアノソナタ2番、3番、英雄ポロネーズなどあらゆる傑作の多くを獲得したのでした。
結核の持病があり、繊細で病弱な体質のショパンを彼女の献身的な看護で支えたことも事実でしょう…。
天才のインスピレーションを彷彿とさせる絵
ショパンへの尊敬と信頼
ショパンとサンドが別れてからも、ドラクロワとの交流はその後も続きました。ドラクロワは何度もショパンのもとを訪れたといいます。
絵画と音楽、畑こそ違うけれども、インスピレーションによって芸術の真髄を追求する二人。深い内面の世界では通じ合うものがあったのでしょう。
1849年にショパンがあまりにも短い生涯を終えた直後、ドラクロワは深い悲しみの中で友人への最大限の敬意や想いを絵に託したのでした。
ショパンの横顔を描いたデッサンですが、ドラクロワは横顔にこそ彼の魅力や人格が集約されていると見抜いていたのでしょう…。
頭に月桂樹の葉をあしらったショパン、「親愛なるショパンへ」のサインを添えたドラクロワの想いは、無二の友人を失った悲しみとともに、信頼の証でもあったのでした。