ピアノの詩人の内面の世界を伝える・ドラクロワ「ショパンの肖像」

『フレデリック・ショパンの肖像』という絵を皆さんはご存知でしょうか?

言うまでもなくピアノの詩人で大作曲家のショパンその人を描いた絵です。

「あっ見たことある!」「ショパンのプロフィールでよく見るよね」など、意外に馴染み深い絵かもしれません。しかもこの絵はただの肖像画ではなく、さまざまなエピソードが隠されていたのです…。

 

 

ドラクロワ『フレデリック・ショパンの肖像』 46cm x 38cm ルーヴル美術館

ロマン派の巨人同士の出会い

ドラクロワ『自画像』1837年
『フレデリック・ショパンの肖像』を描いたのはフランス人画家、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)です。
彼は19世紀ロマン派を代表する画家であり、ドラマティックな絵、歴史画を描いた先鋭的な画家としても有名でした。
ドラクロワは自画像、肖像画でも多くの傑作を残していますが、ここに紹介する『ショパンの肖像』はその中でも最も有名で優れた作品のひとつでしょう。
ドラクロワは友人の女流作家ジョルジュ・サンドの紹介でショパン(1810-1849)と出会ったのでした。
ショパンの繊細でドラマティックな音楽、既成概念にとらわれない革新的な芸術はドラクロワの激情的な個性と波長がよく合う何かがあったのでしょうね。
そのことはドラクロワの心にメラメラと創作欲を沸き立たせたのかもしれません!作品そのものは未完成だったのですが、絵としての存在感や生き生きとした筆致は圧倒的なのです!

一枚の絵に隠された歴史

ドラクロワのサンドとショパンの肖像画の下絵をもとに、19世紀末に切り取られた作品を再現した絵画

 

ただしこの絵にはさまざまなエピソードが渦巻いています。

その一つに、元々この絵はショパンのみを描いた肖像画ではなかったということです。

この絵が描かれた頃、ショパンとジョルジュ・サンドは同棲しており、お互いに必要とする関係だったのでした。

『ショパンの肖像』にはドラクロワが描いたラフスケッチが残っています。それを見ると、ピアノを弾くショパンとサンドが並んで描かれているのです。

ドラクロワのラフスケッチ。ショパンがピアノを弾き、それを聴きいるジョルジュ・サンド(左)。/ルーブル美術館

ではなぜ一枚の絵が二枚に刻まれるようなことになったのでしょうか……。事の発端はドラクロワの死後、未完成のままアトリエに眠っていた絵が競売にかけられたことから始まります。

当時のこの絵のオーナーが一枚よりも二枚にしたほうが高額で売却できると目論んだからなのです。人の欲は際限なしといいますが、これもその典型的な例かもしれませんね。

結果的には裁断された二枚の絵は、どちらも著しくトリミングされたものとなったのでした。

ドラクロワ『ジョルジュ・サンドの肖像』1838年

ショパンの肖像画はヘッドショットのみになり、サンドのほうは上半身中心にカットされていています。でも幸か不幸か、あまり違和感を感じないのは、裁断されてもそれぞれが絵としての魅力を失ってないからなのでしょう。

現在ショパンの肖像画はパリのルーブル美術館に、サンドの肖像画はデンマーク・コペンハーゲンのオドルプガード美術館に所蔵されています。

ジョルジュ・サンドとの関係

ジョルジュ・サンドの肖像画(1835年)

 

 

ショパンと長く生活を共にしたジョルジュ・サンド(1804-1876)は「愛の妖精」をはじめとするロマン派文学の作家で、フランスで初めて世界的な評価を獲得した女性の一人です。

1836年にショパンと出会うと、1838年からショパンが亡くなる2年前までの10年間、ショパンと交際を続けたのでした。

男勝りでフェミニスト的な発想を持ち、ショパンを「坊や」と呼んではばからないようなサンドとの生活がはたしてショパンにとって理想だったのかどうかはいまだに謎です。

しかし、ただ一つ言えるのはサンドと生活を共にした10年の間に、ショパンはピアノソナタ2番、3番、英雄ポロネーズなどあらゆる傑作の多くを獲得したのでした。

結核の持病があり、繊細で病弱な体質のショパンを彼女の献身的な看護で支えたことも事実でしょう…。

天才のインスピレーションを彷彿とさせる絵

『フレデリック・ショパンの肖像』を改めて見てみましょう。
一見気難しくデリケートに見えるショパンの表情の奥には優しさと気高さを併せ持った人柄が覗いてみえます!それにしても何という凄い気迫と情熱が伝わってくる絵でしょうか⁉
この絵はもはや静止した肖像画ではありません。ドラクロワの枠にはまらないドラマチックな表現からは目の前でショパンが語りかけてくるようにも感じるし、激情的で感性豊かな個性をはっきりと浮き彫りにしているのです!
「フレデリック・ショパンの肖像」はクラシック関連書籍の作曲家プロフィールで使われたり、ショパンの伝記で使われたり、その露出の度合いが他の写真や肖像画に比べると圧倒的に多いのは間違いありません。
メッセージ性に富んだこの表情、雰囲気、ただならぬ気配を感じさせるこの絵を見ると、他はどうしても弱く見えてしまうのは仕方がないことなのでしょう…。

ショパンへの尊敬と信頼

1849年、ショパンの死後間もなくドラクロワによって描かれたデッサン。
下部に「親愛なるショパンと書かれている。

 

ショパンとサンドが別れてからも、ドラクロワとの交流はその後も続きました。ドラクロワは何度もショパンのもとを訪れたといいます。

絵画と音楽、畑こそ違うけれども、インスピレーションによって芸術の真髄を追求する二人。深い内面の世界では通じ合うものがあったのでしょう。

1849年にショパンがあまりにも短い生涯を終えた直後、ドラクロワは深い悲しみの中で友人への最大限の敬意や想いを絵に託したのでした。

ショパンの横顔を描いたデッサンですが、ドラクロワは横顔にこそ彼の魅力や人格が集約されていると見抜いていたのでしょう…。

頭に月桂樹の葉をあしらったショパン、「親愛なるショパンへ」のサインを添えたドラクロワの想いは、無二の友人を失った悲しみとともに、信頼の証でもあったのでした。

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