特別な才能の持ち主も社会では生きにくい!? 芸術家と発達性障害

最近テレビや新聞、ネットで「発達性障害」という言葉を多く見かけるようになりました…。発達性障害の患者の数は年々増えているそうですね。

統計では10人に1人が患者というデータもあるくらいで、その数は年々増加傾向にあるといいます。

本人にまったく悪気がないのに、起きてしまった結果から「親のしつけが悪い」とか、「教育されていない」というように多くの誤解を受けることもしばしばです。ここでは当事者が抱える現状と今後のあり方について考えてみました。

もしかしてあの人も発達性障害?

最近、「発達性障害」という言葉が一般的に使われるようになってきました。

以前であれば、「あの人変わってるね」とか、「何考えてるのかわからない」とか、「自分のことしか関心がない」とか、いろんな事を面と向かって言われたり、陰口を叩かれたりしてきたものです。

しかし今、「発達性障害」は科学的に解明され、広く社会に認知されるようになったし、ある程度は理解を得られるようになってきたのも事実です。

 

けれどもその反面、依然として誤解が多いのも事実です。

日々の生活の中で当事者は傷ついたり、肩身の狭い思いをしてきたのも間違いないでしょう。

酷いときは社会悪のように扱われることさえ珍しくはありませんし、肉親や家族も想像以上に困難や苦労を背負っていることが少なくありません。

 

発達性障害の特徴

発達性障害は多動性症候群(ADHD)と、アスペルガー症候群、自閉症などを含めた自閉症スペクトラム(ASD)……。この二つに大別されるのではないでしょうか。

それではざっとそれぞれの症状の特徴を見ていきたいと思います。

ADHD(多動性症候群)

特徴 主な症状
不注意、落ちつきのなさ、衝動的な行動が生活や学業に悪影響を及ぼしやすい ○学業・仕事中に不注意な間違いが多い。
○課題や遊びの活動中に、注意を持続することが出来ない
○直接話しかけると聞いていないように見える。
○指示に従えず、業務をやり遂げることが出来ない
○課題や活動を順序立てることがむずかしい
○精神的努力の持続を要する課題を避ける
○忘れ物、なくし物が多い

自閉症スペクトラム

特徴 主な症状
コミュニケーションや人とのやりとりが上手く出来ない、興味や活動が著しく偏る。 ○親しい友人関係を築けない
○一般的な暗黙のルールが理解できない
○冗談や皮肉が通じない
○視線があいにくく、表情が乏しい
○予想していないことが起きると、パニックを起こす
○自分なりのやり方やルールにこだわる
○感覚の過敏さ、鈍感さがある

 

 

次の「発達障害って何だろう」ではADHDで実際に日常生活で様々な悩みを抱える方へのインタビューを交えた内容が紹介されています。

ここで紹介されている日常の様々な問題はほんの一部かもしれませんが、ADHDの方の特徴をそのまま表したものと言っていいかもしれません。

 

 

 

ピュアな感性の持ち主

発達性障害の方々は、私の周囲にもたくさんいらっしゃいますが、見た目は健常者と何ら変わりません。「一体どこが病気なんだろう」という感じです。

しかし長く話していると、「どうも様子が変だ…」となる場合が多いようです。「話が噛み合わない」とか、「聞いているのかいないのかわからない」のようなコミュニケーションが成り立ちにくい状況が多いようですね……。

でも人柄は至って純粋無垢というか…。悪気のない素直な人が多いです。

コミュニケーションで苦労したり、常識が通用しないということがままありますが、安心してつきあえる人たちだと思います。

天才的な才能と閃き

 

一般的には不可解な行動が目につきやすい発達性障害の方々ですが、一つの分野においては突出した才能の持ち主であることも決して珍しくありません。

天才的な芸術家や偉大な科学者たちに、そういう人たちが多いのも何となくうなづけるような気がします。

常識的な社会のルールの中では特異性や欠点ばかりが目立つものの、環境さえ整えば一つの専門分野において際立った才能を発揮する人たちなのでしょう!

 

過去の偉大な芸術家を例に挙げると、神童モーツァルト、楽聖ベートーヴェン、文豪アンデルセン、天才画家ゴッホ、ピカソ、アインシュタイン、哲学者カント、スピノザ、ピアニストのグールド……など、名だたる天才たちの名前が続々と浮かんできます。

 

鋭敏な感性と一つの分野への猛烈な集中力……。一般の人が創り出すものとは別次元の豊かな感性、創造性がそこに息づいているのかもしれません。

 

 

理解し、共感してくれる人が必要

 

世界的に絶大な影響を及ぼした偉人たちの陰には、それを支えた肉親や家族、親友の存在があったといいます。

発達性障害を抱えた人であれば、それはなおさら大切になるでしょう。

 

モーツァルトであれば立身出世の道を切り開いてくれた父親の存在、ベートーヴェンであれば彼を深く愛してくれた母親の存在、ゴッホであれば彼の良き理解者であった弟テオの存在がありました。

 

これらの人たちはどんなに外野で不協和音を立てられようが、彼らに生涯変わらぬ愛情を注ぎ、深い理解を示したといいます。

 

発達性障害の人には心の支えが必要

 

上の図のように、発達性障害を抱える人たちへの世間の目は総じて厳しく、放っておくと孤立無援の立場に陥りやすいのが現状です。

ですから当事者が不安を払拭するためには、しっかりと気持ちを受けとめ、共感してくれる人が必要なのです。

「あなたはあなたのままでいい…」、「あなたはかけがえのない存在だ」というように、無条件で受け入れてあげる心のゆとりを持ちたいものです。

 

間違っても「まっとうな人間に変えてみせる」、「みんなと同じようにしなければ…」と思わないことですね。そのように意気込むことはかえって逆効果です。

その人の良さを消してしまうばかりでなく、最悪その人の行き場さえ失なわせてしまう恐れがあります。

 

彼らは日常的に様々な場面で心の傷を負っています。そして、たびたび自信喪失したり、自己嫌悪に陥ったりするのです。

もし、彼らに理解を示してくれる人がいなかったらどうでしょうか……。

「普通に振る舞いたくても振るえない…」、「何をやっても理解してもらえない」というような、精神的なプレッシャーとストレスで潰れてしまいかねません。

社会の共通認識が必要

 

これらの問題に共通しているのは社会の無関心と誤った認識があります。

そしてそれ以上に深刻なのは、特異な行動や例外を排除しようとする風潮と世の空気感です。

たとえば「発達性障害の子は問題を起こしやすい」とか、「話が通じない」などと、最初から無視したり、遠ざける傾向があるのは良くありません。

 

話をややこしくしている要因に、前述したように見た目が健常者と何ら変わらないというのも大きいでしょう……。

「なぜ出来ないんだ…」、「何度言っても同じ失敗をする」、「話が通じない、冗談さえ言えない…」というように、人格的な欠陥者との烙印を押されることも少なくありません。

そのように健常者と当事者との間に大きな意識のズレが出来てしまうことは恐い事実でもあります。

 

当事者が持ち前の能力や個性をくすぶらせることなく、芽を引き出し実らせるには社会全体の共通認識や協力が必要不可欠です。

医療機関や支援センターの一層の充実はもちろん、何よりも当事者が安心して公表できるような社会の理解と協力が絶対的に必要になるでしょう。

 

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