歴史画の概念を変える唯一無二の作品
家族の絵を描くことは意外に難しいと言われます。
それはモチーフとなる人たちから様々な意見や要望が出るからなのでしょう……。
「親子」をテーマにした絵は、さらにハードルが高いとも言われます。
「親子の絆、情愛」を描いた作品は過去にもたくさんありました。
でも描写が表面的であったり、構図やテーマの演出が過ぎるとか、納得できる作品がありませんでした。
しかし、そのような不満をすべて払拭する素晴らしい作品がありました! バロックの巨匠、レンブラント晩年の作「放蕩息子の帰還」です。
「放蕩息子の帰還」は新約聖書のルカ福音書15章の「放蕩息子」のエピソードがテーマになっています。
この絵が描かれたバロック時代は歴史画が絵のジャンルの最上位に位置され、もてはやされた時代でした。レンブラントも歴史画をたくさん描いていますが、「放蕩息子の帰還」は普通の歴史画ではありません。
演出効果たっぷりでよそよそしい雰囲気が漂う歴史画とは別物です。
絵そのものが史実という出来事にテーマを絞っているのではなく、人間ドラマ、真実のエピソードとして語りかけてくるのです。
「放蕩息子」のエピソードは次のようになります。
ある農場に二人の兄弟がいました。ある日次男が「いつか自分が相続する財産を今ください」と父親に進言しました。
すると父親は二人に均等に財産を分け与えることにしたのです。
長男は家業を継いで汗水たらして仕事をしていましたが、次男は好き勝手に家出をして放蕩三昧をしたあげくに財産を食いつぶしてしまいました。
身を寄せるところもなく、奴隷のような生活をしたのちに、自分の置かれていた環境がどれほど恵まれていたのかに気づくようになります。
ある日、このままでは未来はないと痛感した次男は実家へ戻る決心をします。
この時の次男の胸中は深刻でした。「もう家には入れてもらえないだろうし、親子の縁も切られるだろう」と覚悟していたのです……。
しかし、父の態度はまったく想像していないものでした。
会ってもらえないどころか、息子が久々に帰ってきたことを心から喜び、祝宴をあげようと言うのです。
『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』(ルカによる福音書15章)
空白の期間を埋めるに充分な再会劇
思いがけない父のゆるしと大きな愛に触れた次男はその場で泣き伏してしまいます。 ただただ父の懐で嗚咽するしかなかったのでした……。
レンブラントの「放蕩息子の帰還」はすべてを失い、自分の過ちを痛感した息子が再び父の懐に抱かれる瞬間を描いたものです。
親子はここに至るまでにどれほど多くの孤独や心の空白、紆余曲折を味わってきたのでしょう……。
身勝手に家を出て、どうしようもなくなって戻ってきた弟に対して、納得できない表情で見つめる兄や雇人たちの気持ちはよく理解できます。
しかし、父と息子にとってそんなことはどうでもよかったのでしょう。この瞬間、二人は純粋に“親子”として心を通わせ、感動の再会を果たしているのです。
劇的な再会を愛情深く表現
身も心も疲れはてて、生気がなく憔悴しきった次男の表情。
衣服はボロボロで足裏には無数の傷があり、惨めな姿を晒しています。
しかし、父親の懐に顔を埋める次男の表情からは、はかりしれない安堵感が伝わってきます。
また、大きな手のひらで強く抱き寄せる父親の愛情に満ちた眼差し……。父親は「もうお前を絶対離さないよ…」と呟いているように見えます。
レンブラントは二人の劇的な再会を愛情深く描き、これ以上ないくらい見るものの心に強く訴えかけます。
人々の心の動きを映す入魂のタッチ
晩年のレンブラントの絵は中期(「夜警」で見せたようなドラマチックな光と闇のコントラスト)の絵に比べると劇的な効果において一歩譲るかもしれません。
しかしこの絵にはそれを遥かに深化させた精神性の表現があります。筆のタッチには人々の心の動きを映し出す深い息づかいや温もりが感じられ、彫琢された美しい色彩が人々の崇高な魂や人生の哀感を伝えてやまないのです!
丹念に慈しむように描かれる手の表情、肌の温もりからは人々の内面の世界が伝わってくるようです。それぞれの奥行きのある美しい表情には溜息が出るばかりです。
これこそ、いつまでも感動を共有したいと思わせる数少ない名画といっていいでしょう。