ライプツィヒ時代の傑作
バッハは無伴奏ヴァイオリンソナタやブランデンブルク協奏曲、平均律第1巻などの名曲を数多く残したケーテンの地を離れて、1723年にライプツィヒにやってきました。聖トーマス教会でカントル(音楽監督)の職務に就くためです。
毎週日曜日と祝日に行われる礼典行事の教会カンタータの演奏と、付属の学校の教師も受け持っていたようですね。つまり教会音楽家として厳しい戒律の中で、身も心も捧げるに等しい職務だったといえるでしょう。しかも「衝突が絶えなかった」といわれる市当局の音楽監修も任せられていて、窮屈な環境で多忙を極めていたのでした。
そんなバッハにとってちょっとした気分転換となったのが、1729年に大学生中心の演奏グループ「コレギウム・ムジクム」の指揮者として招待されたことです。このようなときに作曲されたのが一連のチェンバロ協奏曲集でした。
特にBWV1064はその封印が解かれた1730年の作。作品全体にどことなく喜びや心のゆとりが伝わってくるのが印象的です。
この作品は原曲がヴァイオリンのために書かれた曲だったのではないかという説もあります。確かに流麗で歌い交わすような音楽の構成は、ヴァイオリンにふさわしいといえるかもしれませんね。
ただし、チェンバロに要求されるテクニックは多彩で複雑、難易度も高いのが特徴ですね。3台のチェンバロも一貫して同じレベルで扱われています。おそらくバッハは息子たちとの協演をこの上ない喜びとしていたのでしょう。
演奏によって魅力と愉しさが激変
乱暴な言いかたを許されるなら、バッハのチェンバロ協奏曲集は演奏の善し悪しによって魅力や愉しさが大きく変わります。
チェンバロといえば優雅でおごそかな音色が魅力ですが、ピアノに比べて音域の幅の狭さがどうしても気になるところ。そのため普通に演奏すると優雅で雰囲気がいいが、なぜか単調な演奏だな…となりかねないんですよね。
そのためチェンバロ演奏をする場合、ピアノとは少々違ったアプローチが必要になります。魅力的なチェンバロ演奏を実現するポイントは、アーティキュレーション(音と音とのつながりに強弱をつける)だといえるでしょう。
チェンバロを心から愛し、知り尽くし、表現力を兼ね備えた奏者にのみ、バッハのチェンバロ協奏曲は魅力が引き出され、光を放つようになるのかもしれませんね……。
そのような意味では後述するトレヴァー・ピノックの演奏は、3人の奏者といい、音楽性の高さ、芸術性など最高レベルといってもいいでしょう。
聴きどころ
第1楽章・アレグロ
バッハのチェンバロ協奏曲の中でも特に上機嫌な音楽。快活な開始に心が弾む!明るく寛いだ雰囲気が心地いい。
リトルネッロ形式で曲が進行するにつれて形を変えながら様々な表情を見せてくれるのも魅力。多彩な変化と発展が音楽に深みを与えながら、エネルギッシュに音楽が展開される。
第2楽章・アダージョ
悲しみに打ちひしがれたバッハならではのアダージョ。右手のチェンバロによる嘆きの歌が心に突き刺さる。
第3楽章・アレグロ
第2楽章で鳴り響いた厚い雲をふりはらうような第1主題が印象的。希望に満ちたメロディとフーガが、チェンバロの絶妙な掛け合いとともに発展しつつ、曲は終了する。
オススメ演奏
ケネス・ギルバート/ラース・ウルリク・モルテンセン/トレヴァー・ピノック(チェンバロ)ピノック指揮イングリッシュ・コンサート
もう40年以上前の演奏になってしまいましたが、ピノック盤は今もこの作品に決定的な影響を与え続ける演奏といってもいいでしょう。
一見クールに聴こえる演奏の何という卓越した音楽性!チェンバロ、弦楽共々、この音楽を作りあげるために有機的に絡みながら、一直線に突き進む気迫や高揚感が尋常ではありません!
しかも出てくる音楽は単調とは無縁で、センス満点、風のように爽快でありながら実に彩り豊かなのです……。きっと我を忘れるような貴重な音楽体験をもたらしてくれることでしょう。
また求心力の強さやエネルギー、引き締まった造型は見事の一言に尽きます。どこまでも躍動感にあふれ、胸が弾むようなリズミカルな音楽の進行は、聴く者のハートを強くつかんで離さないでしょう。
そしてBWV1064はこのピノックの演奏によって新たな魅力を獲得したといっても決して過言ではありません。