熟成された名曲中の名曲
ヴァイオリン協奏曲はソリストとオーケストラのコラボレーションが楽しい協奏曲のジャンルです。
見せる要素もたくさんあり、観客動員もある程度見込めるため、いわばコンサートの花形といえるかもしれません。
実際、世にはたくさんのヴァイオリン協奏曲がありますね。
モーツァルト、パガニーニ、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、サンサーンス、シベリウス、バルトーク、ショスタコーヴィチ……。
特に19世紀後半から20世紀後半にかけては、管弦楽の規模が大きくなり、ソリストの音量や表現をサポートできるような交響曲的な作品も増えていったように思います。
そんな華々しい名曲の数々も何度も耳にすると魅力が薄れてしまい、次第に飽きるようになってきました。
しかし私にとって何度聴いても飽きない、いつ聴いても新鮮で魅力を再発見できるヴァイオリン協奏曲があります。それがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲です。
心の足跡が音楽となる
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は実に含蓄のある音楽です。
ティンパニを打ち鳴らしながら開始される第1楽章の冒頭のテーマからして、「何かが始まる予感」がいたします。
春のような穏やかな旋律が管弦楽で奏でられると思いきや、すぐさま弦楽器の強いアタックが続いて、一筋縄ではいかない曲だと痛感させられるかもしれません……。
ヴァイオリンが加わると春爛漫を想わせる優しげな旋律が響き渡ります。しかしそのような幸福感はほんのわずかで、すぐに悲哀に満ちた旋律が辺りを覆うようになります。
その後も音楽は突如として心の嵐に激変したり、穏やかな青空を取り戻したりするのですが、少しも窮屈さやわざとらしさを感じません。
次第に音楽も深みやゆとりを増し加えていきます。ベートーヴェンはいい意味で音楽で遊んでいるのかもしれませんね。
まさに激流をたびたび越えてきたベートーヴェンらしいのですが、決して暗くなったり、深刻にならないのが大きな魅力です。
透明感と達観の境地
ブラームスのヴァイオリン協奏曲のように堂々としたスケールと迫力というよりは、自分の心を開放してのびのびと音楽を楽しんでいるように思えてならないのです。
それがよく表れているのが第2楽章でしょう。
この抜けきった透明感漂う音楽は一体何といったらいいのでしょうか……。
ヴァイオリンの慈味あふれる旋律にしても、管弦楽のささやくような響きにしても、はるか彼方、遠くを見るような達観した境地に到達しているように思えて仕方ないのです。
ただただ、心に寄り添うような優しさと懐かしい情感が胸に迫ってきてやみません……。
この神技のような第2楽章から途切れることなく続く第3楽章こそ、本当の意味で自由奔放、何ものにもとらわれない自由を高らかに謳う音楽といっていいでしょう!
カデンツァからフィナーレに至るまで、弾むようなリズムや求心力のある音の祭典に心が踊り、次第に胸が高鳴っていくのです!
聴きどころ
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
ベートーヴェンらしい変化と多彩なエピソードに満ちあふれた魅力的な楽章。一小節ごとに表情は急変するが、それが人生の縮図のような大きなテーマとして包括されてゆく。
第2楽章 ラルゲット
このラルゲット、ベートーヴェンは何に想いを馳せ、心に寄り添うような音楽を書いたのだろうか。
音楽は簡素で、ひたすら心の内面を見つめるようだ……。派手な効果など一切なく、心が研ぎ澄まされるような静かな感動と心の余韻だけが伝わってくる。
第3楽章 ロンド・アレグロ
第2楽章から途切れることなく続くこの楽章。あらゆる縛りから解き放たれた自由奔放でリズミカルな旋律が心地よい。
求心力の高い楽想は音の祭典と化して華々しく全曲を閉じる。
オススメ演奏
チョン・キョンファ(vn)クラウス・テンシュテット指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
1989年、アムステルダムでのライブ録音。聴いていて身が引き締まるような熾烈さと静けさをあわせ持った格調高い演奏といえるでしょう。
一切の虚飾を排し、透徹した音色を奏でるチョンのヴァイオリン。精神的に高められた求心力の高いアプローチこそが、この録音の最大の魅力でしょう。
また第2楽章ラルゲットでの深い瞑想を想わせる静かな余韻、情緒も美しい記憶を蘇らせるかのようです。
キム・スヨン(vn)ルーベン・ガザリアン指揮ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管
現在、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のコンサートマスターとして活躍しているキム・スヨンの演奏です。
チョンに似た透徹したヴァイオリンの響きが冴え渡ります。しかもラルゲットでの透明感あふれる優しい慰めもなかなか聴かせてくれますね。
ガザリアン指揮によるオケも最高のバランスでヴァイオリンをサポートしていて、ベートーヴェンの音楽の魅力を際立たせます。録音がいいのもポイントが高いですね。