20世紀の混沌と不安を象徴した作品
世に多くの作品あれど、これほど独特の情念と強いメッセージ性を持った作品は少ないでしょう。
この協奏曲を一般的な協奏曲によくある華麗で上品なイメージを想定して聴くと、とんでもない違和感を覚えるかもしれません。
ベルクのヴァイオリン協奏曲は20世紀の混沌と不安の時代的な要素を色濃く反映させながら、魂の浄化に至るまでの過程を表現した極めて訴えかける力の強い傑作です!
実はこの作品、様々な経緯から生まれているのです。そもそものきっかけはアメリカのヴァイオリニスト、ルイス・クラスナーからヴァイオリン協奏曲の作曲依頼を受けたことが始まりでした。
アルパン・ベルク(1885-1935)
しかし、ベルクはこの依頼に必ずしも積極的ではなかったようです。当時彼はオペラ「ルル」を足かけ6年にわたって作曲中だったからでした。彼にとって作曲の依頼を引き受けることは「ルル」の作曲を中断せざるを得ないのに等しいことだったのでしょう。
しかも作曲に対して一切妥協しない人でした。音楽は推敲に推敲を重ね、自分が完全に納得しなければ作品そのものを世に出さない人だったのです。
それは生涯に書き上げた作品がわずか10作品ほどという大作曲家としては異常な少なさにも表れています。
しかし、当時経済的に困窮していたベルクにとってこの仕事は願ったり叶ったりで、当面は生活の心配をしなくてもいいだろうという思いで作曲したことも間違いないのでしょう。
ある娘の死が作曲の動機に
作曲を引き受けてみたものの当初は格別なテーマが見つからずに苦悩するのですが、ひとつの出来事がこの協奏曲の作曲へとかき立てます。
それはワルター・グロピウス(建築家でバウハウスの創設者)とアルマ・マーラー(作曲家グスタフ・マーラーの未亡人)の娘マノンが18歳で亡くなったことでした。
ベルクはこの一家と親交があり、特にマノンを実の娘のように可愛いがっていたのです。マノンの死はベルクに深い悲しみと衝撃を与え、この少女のために音楽で哀悼の想いを捧げようと決心したのがヴァイオリン協奏曲だったのです。
この作品はわずか3か月というベルクの作品としては異例の早さで曲が完成しました。
世の混沌から復活、そして闇から光へ…。この曲に入り込めば入り込むほど作品の持つ潜在的な力とメッセージ性の尋常ではない強さに心奪われるようになるのではないでしょうか…。
12音技法にあらゆる感情やロマン的な要素を融合しつつ、第2楽章後半ではバッハのコラール主題をモチーフにする等、厳しくも崇高な世界を表出しています!
全精力を注ぎ込んだ魂のレクイエム
ベルクはこの協奏曲を全精力を注ぎ込んで完成させたものの、心身ともに相当に自分を追いこんでいたのでしょう。
あるとき虫刺されから始まった炎症が悪化して敗血症を起こしてしまいます。結局はこの病気が命取りになり、初演を見ることができないまま、マノンの後を追うように亡くなったのでした。
アントン・ウェーベルン(1883-1945)
1936年の世界初演は作曲の依頼をしたクラスナーがヴァイオリンを担当し、作曲家のウェーベルンに指揮の要請がありました。
ベルクとウェーベルンはウイーン楽派を代表する作曲家仲間としてだけでなく、唯一無二の友人として深い絆があった関係でした。
しかしウェーベルンは彼の死を受け入れることができず、練習もろくに出来ない状態に陥ってしまい、初演の指揮を辞退することになります。
それでも気をとり直した1か月後のイギリス初演の指揮棒を振ることになったのでした。
聴きどころ
第1楽章・アダージョ~アダージェット
テーマとなったマノンの短い生涯を回想しながら、「音楽的肖像」ともいうべき心の抒情詩を歌い上げる。
中間部のアレグレットからは、少女時代の繊細で悲観的な思考が描かれ、激しい葛藤や苦悩を際立たせる。
第2楽章・アレグロ・アダージョ
慟哭と不安が同時に押し寄せるような強いメッセージを持った第2楽章の冒頭。音楽は生き物のように発展し、休む間もなく心の動揺を歌う。
オススメ演奏
イザベル・ファウスト(V)クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団
ベルクのヴァイオリン協奏曲は多くの演奏がリリースされていますが、現在のところ第一にオススメしたいのがイザベル・ファウストのヴァイオリンとアバドの指揮による演奏です。
アバドの指揮はオケの音色を細部まで美しく磨きあげ、透徹した美しいハーモニーと密度の濃いパワフルな響きをつくりあげるのに成功しています。これでこそベルクの苦悩や魂の救済は生きてくるといえるでしょう。これは晩年のアバドが到達した最高の美学かもしれませんね。
ファウストのヴァイオリンも盤石なバックを前に強靭なテクニックと変幻自在な音色の妙が冴えに冴えます!
嘆きの表情、孤独に苛まれる心、不安と葛藤をファウストはヴァイオリンの音色で目一杯歌っているのです。
音質も良く、ソロとオケのバランスがいいのも大きな魅力です。
チョン・キョンファ(V)ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団
曲の凄みが伝わってくる演奏としてはチョン・キョンファのヴァイオリンとショルティ指揮シカゴ交響楽団です。特にチョンのすべてを注ぎ込んだといってもいいような緊迫感漲る渾身の演奏が光ります!
これくらい曲に没入しなければ、この曲の真価は発揮されないということかもしれません!ショルティの指揮も迫力が漲り、楽器の表情、音色の豊かさ、どれをとっても見事です。
渡辺玲子(V)ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
比較的手に入りやすいCDとしては渡辺玲子のヴァイオリンとシノーポリ指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏がいいでしょう。この演奏はすべてにバランスがとれています。
ヴァイオリンの音色、オーケストラの豊かな安定した響きを含め、作品の全体像を把握する上では最も適したディスクかもしれません。