音楽の原点に帰るよう…
今やバロックの巨匠ではなく、オペラの巨匠としての真価が日増しに高まっているヘンデルです。
もしヘンデルの作品から声楽やオペラがなくなったらどうなるのでしょうか……? それはヘンデルの宝のほとんどを失うことになるかもしれません。
それほどヘンデルの歌ものは他に代えられない魅力があるのです。たとえばイエス・キリストの人物像を描いたオラトリオ「メサイア」がいい例でしょう。
宗教曲やオラトリオを最初から最後まで胸をワクワクさせながら聴かせられる作曲家が他にどれだけいるでしょうか?
ヘンデルの声楽作品にはオペラとオラトリオ以外にも愛すべきジャンルがあります。その一つがパストラルです。
パストラルは羊飼いの若者とニンフ(山や川に宿る女性の姿をした妖精)の純愛をメインテーマに、そこに起こるドラマを自然への感謝、全能の神への感謝の想いを歌い綴りながら展開される牧歌劇です。
ストーリーはとてもシンプルで分かりやすく、音楽もメルヘン的でファンタジックな要素が多分に含まれているのがうれしい限りです。
そんなヘンデルのパストラルを代表する魅力的な傑作が言うまでもなく、「エイシスとガラテア」です。
モーツァルトのアレンジで魅力倍増
「エイシスとガラテア」は何といっても1734年に作曲されたヘンデルのオリジナル作品が美しいのですが、モーツァルトが1785年に編曲した版はそれに更に魅力を加えた見事な出来ばえです。
その成功の一つにあげられるのがオーケストレーションの見事さでしょう!
メルヘン的で無垢な色合いの強い音楽はそれだけでも充分に魅力的なのですが、モーツァルトの編曲は原曲の良さを充分に生かしながら、更に自由で快活なイメージを引き出したのです!
特に印象的なのが序曲ですね。音楽は出だしから一気呵成に唸りをあげるように突き進んでいきます! 身体が勝手に動き出すような感覚さえありますね。その痛快なことといったら……。
もちろん音楽は破綻することなく、展開部では透明で立体的な色彩のハーモニーが、この上なく美しい表情を漂わせていくのです。
そしてガラテアが死んでしまったエイシスへの想いを哀しみの心で歌う「悲しむのはもうおやめなさい」の前奏の部分の無類の美しさ……。
ファゴット、クラリネットなどの無垢な音色、優しい響きが何ともいえません。パステルカラーのような柔らかな色彩のハーモニーとなって心に深く染み渡っていくのです。
これはよほどヘンデルの音楽を愛し、理解していないと出来ない編曲だし、モーツァルトの音楽性の成せる技なのでしょう。
あらすじ
羊飼いの若者エイシスとニンフ(精霊)の娘ガラテアは、お互いを認めあう恋人同士だ。
ある日、怪物ポリフェーマスが現れてガラテアに愛をささやくが、つれなく断られる。嫉妬したポリフェーマスは、エイシスに岩を投げつけて殺してしまう。
悲しみにくれるガラテアだったが、エイシスはガラテアの力により枯れない泉となって永遠の命を得るのだった。
聴きどころ
序曲
明るく屈託のない原曲も魅力的だが、モーツァルトの編曲は楽器を増やし、多彩な響きを実現することで音楽の魅力を倍増させた!
特に展開部のエネルギーにあふれ、色彩豊かに音楽が変化していくようすは息をのむほど。
第1曲・合唱と独唱「おお、野の喜びよ」
文字通り自然への賛歌を高らかに歌いながら、愛するふたりの喜びと希望を奏でていく。生き生きとした感情が辺りを包みこむ……。
第5曲・エイシス「彼女の眼には恋が戯れていて」
ガラテアへの愛を切々と歌いあげるエイシスのアリア。誠実さと豊かな感性を滲ませる。
第16曲・三重唱「助けてくれガラテア」
この作品の核心部分。性格、声のトーンが違うエイシス、ガラテア、ポリフェーマスが緊迫した状況を声で表現するとき、見事な三重唱となり、陰影が生まれる。
独唱と合唱「もう悲しむのはおやめなさい」
前奏の木管楽器が醸し出すハーモニーが美しく、瞑想や慰めの想いをつのらせる…。そして曲が進むにしたがい、ガラテアの涙や嘆きが、いつの間にか大地を美しく覆い、合唱に受け継がれていくのだ。
オススメ演奏
ボニー(S)マクドゥグル(T)トムリンソン(T)トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート
Handel/Mozart: Acis & Galatea, K566
モーツァルトのアレンジ版として、最も成功した演奏。キャスティングもそうそうたる顔ぶれが並んでいます。
バーバラ・ボニーのガラテアは理知的で可憐な歌声が役どころにぴったりで、三重唱での存在感、嘆きのアリアでのしっとりとした味わいは聴かせてくれます。
マクドゥグルの端正な表情もエイシスに馴染んでいますし、トムリンソンのスケールの大きいポリフェーマスも立体的な表現が見事です。
ピノックの指揮は快活で前進するエネルギーにあふれた最高の演奏と言えるでしょう! モーツァルトのアレンジを充分に生かした造型、解釈は見事で、特にリズム、音色、ハーモニーが一体となった序曲は圧巻です。
さわやかな空気感や牧歌的な雰囲気も漂わせ、「エイシスとガラテア」の世界を見事に創りあげた手腕に脱帽です。