室内楽には珍しい華のある音楽
今年は春先からの新型コロナウィルスの感染禍で、今なお世界中が大混乱に陥っています。
終息が見えない現状に困惑するとともに、見えない敵との戦いがこれほどまでに心と身体を疲弊させ、脅威になるとは思ってもみませんでした……。
それに加えて不安定な天候や自然災害も追い打ちをかけるように続き、心が休まらない日々が続きます。
こんな時こそ、セルフケアとして、心にたっぷりと栄養補給したいものです。
ビバクラシカ! 今回はモーツァルトのクラリネット五重奏曲です。
言うまでもなく室内楽の不朽の名曲ですね。ところで室内楽曲というと華がなく、地味なイメージがあり、とっつきにくいというイメージが定着しているようです。
実際、初心者向けの聴きやすい作品って少ないのは確かかもしれません。
しかしこの作品は、不人気と言われる室内楽のジャンルで例外的に人気の高い作品なのです。
第1楽章の優しく語りかけるメロディ。第3、第4楽章の哀しみを堪えながら無邪気に微笑むメロディ‥。
そのいじらしいまでの無邪気さや健気さは心をつかんで離しません。
音楽が鳴り始めた途端、自然に乾いた土に染み込む水のように心の養分となり、聴く者をいつのまにか至高の世界に誘ってくれるのです。
疲れた魂を癒す最高の逸品
余分な力がまったく感じられず、音楽はジワジワと心の隙間を埋めていきます…。まさに疲れた心に寄り添い、魂を癒してくれる最高の芸術と言っても過言ではないかと思います。
中でも特筆すべきなのが第2楽章のアダージョでしょう。
ここにはすべての言葉が無力に思われるほど、無限の愛や諦観が色濃く流れています。哀しみをじっと耐えながら、どのような運命をも拒まず受け容れる寛容の心にあふれています。
音楽の展開は、クラリネットと弦楽器がそれぞれ語り合うように哀しみやわびしさ、慰めの想いを音楽に託していきます。
その表情は母親が赤ちゃんを懐に抱え、子守唄を口ずさみながら「いいんだよ。何も気にしないでお休み。お前を一生離すことはないから……」と優しく諭しているようにさえ思えます。
きっと晩年のモーツァルトは経済的にも困窮し、人間関係においても相当な心の傷を負っていたのでしょう。ここにはすべてのものを失い、悲しみのどん底に喘ぎ、憔悴し切ったモーツァルトの姿も映し出されています。
けれども寂しさや哀しみ、苦しみを押し殺さないですべて受け入れるからこそ、昇華された美しさを放つ音楽として、聴くものを優しく包み込んでくれるのです。
聴きどころ
第1楽章アレグロ
長調だが、単に「楽しい、明るい」という音楽でないことは、冒頭のテーマで明白。深い悲しみを抱えた心の葛藤とは裏腹に、無邪気で微笑みに満ちた音楽が展開される。
第2楽章 ラルゲット
この作品の白眉的な楽章。天上の調べのようにどこまでも澄んだ美しい旋律が深く心に染みいる。微笑みと哀愁が重なり合うように音楽が流れていく。
まるで母の懐に抱かれて安らかに眠る幼児のように、深い愛情が伝わってくる。
第3楽章 メヌエット
対比的な性格の2つのトリオを持つメヌエット。憂いの心はこの楽章でいっそう明確になっていく。
第4楽章 アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニ
口笛を吹くような陽気で無邪気なリズムに支えられたメロディが印象的。絶えず目には涙が光っているものの、構わず歩きはじめるモーツァルトの澄んだ心の想いが愛おしい……。
オススメ演奏
フリードリヒ・フックス(cl)ウイーンコンツェルトハウス四重奏団
Moart & Brahms: Piano Quartet, Clarinet Quintet
これは1962年の東京文化会館でのライですが、録音も比較的良く、楽器の音色もきれいに収録されているのが魅力です。
甘く切ないクラリネットの表情、ポルタメントを用いた柔らかい弦の響き、本当に夢のようなひとときが流れていきます!この名曲を心静かに味わうには最高の1枚と言っていいでしょう!
シャロン・カム(cl)ハイドン・フィル、イザベル・ファン・クーレン、他
Mozart: Clarinet Concerto, K. 622 & Clarinet Quintet, K. 581
新しい時代のクラリネット五重奏曲ですね。弦も粘らずヴィブラートを排除したスッキリした味わいが何ともいえません。そしてクラリネットを吹くカムの無色透明な音色の味わいは聴くたびに新たな発見があります。
弦楽器の透明な響きとクラリネットのまろやかな音色がよく溶け合っているのも大きな魅力です。
デビッド・シフリン (cl)チェンバー・ミュージック・ノースウェスト
Mozart: Clarinet Concerto in A Major, K. 622 & Clarinet Quintet in A Major, K. 581
パセットクラリネットを用いたシフリンの音色が光る名盤。音域の幅が広く、自然にスーッと弦楽に溶けるようなシフリンのクラリネットは大きな魅力です。
特に最終楽章の極上の愉悦感は他にはない魅力でいっぱいです。