長い失意から抜け出した作品
芸術家は誰もが多かれ少なかれ、繊細でナイーブです。
どんなに力強い交響曲や壮大なスケールのオペラを作曲した人であっても、その本質はとても傷つきやすいし、デリケートなのです。
特に才能に溢れた作曲家であればあるほど、デリケートな感性の持ち主だったり、強い自尊心を持っている場合が多いですから、ひとたび心のバランスが崩れると修復が大変なのです。
19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの大作曲家セルゲイ・ラフマニノフも、長い間失意のどん底で喘いだ人でした。
その要因になったのが彼が作曲した交響曲第1番をめぐる評論家や文化人たちの容赦ない批難と敵視するようなコメントだったのでした。
交響曲第1番を発表したのが1895年ですから、3年から5年あまりの間、彼はまともに作曲出来なかったことになります。
ピアノ協奏曲第2番の創作も決して順調な滑り出しではありませんでした。
第2楽章、第3楽章を先に作曲したものの、第1楽章で停滞してしまいます。第1楽章といえば、その曲の性格や色づけを決定する顔のような存在ですね。
すっかり自信喪失していたラフマニノフですから、作品を完成させるということには考えられないようなエネルギーが必要だったのでしょう……。
しかし、精神科医の診療や周囲の協力もあって、何とかピアノ協奏曲第2番は完成にこぎつけます。
ヴィルトゥオーゾ的な迫力と甘美なメロディ
この作品で印象的な部分はギリシャ正教(ロシアのキリスト教の中心勢力だった)の鐘を模したといわれる第1楽章冒頭のピアノの連打です。地の底から唸りを上げるようにピアノはクレッシェンドして絶頂に達します!
暗い情念に貫かれた第一主題に続き、郷愁とロマンに満ちた甘美なメロディが現れると、がぜん音楽は生き生きとした情感と勢いを伴って進行していきます。
曲調はドラマティックですが、メロディラインはとても親しみやすく、この曲を聴いた人ならば簡単に第1主題、第2主題のテーマを口ずさめるのではないでしょうか。このあたりがロマン派的な情緒をいっぱいに持った音楽でありながらも、映画音楽などで重宝されるゆえんでもあるのでしょう。
第2楽章のピアノの三連音に続く、みずみずしいテーマも忘れられません。
どこか物思いにふけり、夢に見るようなおぼろげな感情……。静寂感を湛えた甘く切ないメロディが心に染みこんできます。
超絶的な技巧を要するピアノのパッセージも随所に現れます。それはラフマニノフの身体的な特徴が大きく影響しているようですね。
ラフマニノフは2メートルにも及ぶ上背があり、手も他の人に比べるとはるかに大きく、指も長かったようです。
ヴィルトゥオーゾ(高度な演奏能力と技巧を持った人)としても非常に優秀で、難しいパッセージを難なく弾きこなす名ピアニストだったため、各楽章の要所要所にそれが置かれているのは当然なのかもしれません。
コンサートの演奏効果が高く、ピアニストに人気があるのも分かるような気がします!
超絶技巧を要する演奏
ピアノ協奏曲第2番は人気曲ゆえ、昔から多くの録音があります。
ツィマーマン(p)小澤征爾指揮ボストン交響楽団
最初に挙げたいのがクリスティアン・ツィマーマンのピアノ、小澤征爾指揮ボストン交響楽団(ユニバーサルミュージック)による演奏です。
これを聴くとこの作品が、本来ピアニストによるピアノを味わうべき作品だということが実感できます!
それほどツィマーマンが強い主張と確信に満ちたタッチで弾いているということでしょう! 詩情豊かで意味深い表現はラフマニノフにふさわしく、心にストレートに飛び込んできます!
小澤の指揮も硬軟自在の好サポートで、この作品の魅力ををふんだんに伝えています。
グリモー(p)アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団
エレーヌ・グリモーのピアノ、アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ワーナーミュージック・ジャパン)の演奏も見事なできばえです!
グリモーのピアノはデリケートでニュアンス豊かな音色が光ります。
力強さや音楽的な推進力にも優れ、ラフマニノフの音楽の隠れた魅力を最大限に引き出しています。
アシュケナージの指揮もスケールが大きく、ドラマチックな表現や色彩豊かな響きにも欠けていません。グリモーのピアノにピッタリ寄り添っているのも好感が持てます。