
あふれる涙と研ぎ澄まされた感性

不人気と言われるクラシック音楽界において、モーツァルトの交響曲第40番ト短調ほど愛されてきた作品はないかもしれません。とにかく昔から人気が高く、いつの時代もコンサートの花形であり、ポピュラーな作品でした。
モーツァルトといえば、「アイネ・クライネ・ナハトムジークがいい」と言う人もいるでしょうし、「やっぱりフィガロの結婚だよ」という人もいるでしょう……。
でも誰が何と言おうと外せないのが交響曲第40番ト短調です。特に有名な第1楽章・第1主題のテーマは一度聴いたら忘れられない衝撃を受けることでしょう。心に突き刺さる深い悲しみと哀愁が漂う第1主題、耳に馴染みやすいメロディ、まったく停滞することがない音楽構成……。
そのどれもが音楽的に高く、澄んだ至高の境地に到達していることが伝わってくるのです。
このメロディはあまりにも美しいために1960年代に歌手のシルヴィ・ヴァルタンが「哀しみのシンフォニー」というタイトルで歌ったほどです。その後もジャンルを超えて様々な楽曲にアレンジされています。
ヴィオラの弦の刻みで美しい第一主題が導き出されると、そこには涙に濡れながら立ちつくすモーツァルトの心象風景が浮かんでくるようです。
涙が乾くことなく悲しみの渦となって押し寄せる展開部や再現部……。そして心震わせるテーマが次々と装いを変えていくと、辺りの情景はますます翳りの色あいを濃くしていくのです。
しかし、それは不安や焦燥感からくる悲しみではなく、生きる者のどうしようもない宿命的な哀しみにまで高められているのです。
透徹した美しさ

哀しみに彩られた作品は、ずっと聴いているとふつうは気持ちが沈みがちになります。
でも40番ト短調にはそれがありません。なぜなのでしょうか……。モーツァルトの素の感情、いわゆるモーツァルトの感情が
この作品はもはや世俗的な哀しみを突き抜けて結晶化された美しさに到達していると言えるでしょう。どの部分にも澄み切った心境が深く投影されていて、とても喜怒哀楽の範疇に留まらないのです。
第一楽章の何度聴いても胸が締めつけられる哀愁に満ちたメロディも印象的ですが、表向きは平静を装いながら、心にぽっかり空いた穴を埋めことが出来ずにすすり泣くような第二楽章はさらに強烈な印象を与えます。
古典的な格調高さと厳しさが最高のバランスで両立した第三楽章メヌエットも一度聴いたら忘れられません。
中間部の笑みを湛えた慰めの主題は唯一この作品で光が照らされる瞬間かもしれません……。
第四楽章モルト・アレグロは強い緊張感を保ちながら一気呵成に曲は展開していきます。胸に突き刺さるような主題やリズムが壮絶な展開に発展し、終始私たちの心を掻き乱しながら曲を閉じるのです。

魂に刻まれるカザルスの名演奏
Casals & wife (LOC) / The Library of Congress
40番ト短調は名曲だけあって、指揮者にとって必ず一度は振ってみたい作品でしょう。実際CDの数は膨大な量になると思いますね……。
その中で一枚だけ選ぶとしたら、やはりカザルスでしょう。
演奏は1968年のマルボーロ音楽祭のライブ録音ですが、音質は良好で楽器の生々しい響きや立体感が最高です。
第一楽章が始まると、あらゆる楽器に深い感情が込められていることに、気がつきます。テンポは速めなのですが、呼吸が深くあらゆる部分に神経が行き届いているのであっさりしている感じがまったくありません。
楽器の表情、音色の豊かさなど秀逸で、 「入魂の演奏」とでも言うのでしょうか……。音色に心が乗り移るとはこのような演奏を言うのかもしれません!














