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印象派の典型と言われた画家
今なお日本でも根強い人気があり、19世紀に一世を風靡した印象派がフランスで産声をあげたきっかけは思いがけないものでした。
それは1870年代にフランスの芸術アカデミーとアカデミー主催のサロン展へ抗議する形で噴出したのです。
サロンに出品することは、当時の画家たちにとって成功に至る唯一の登竜門だったのでした。しかしサロンの権威ある審査員たちは、印象派から出品された作品の多くの受け入れを拒否したのでした。
アカデミーの言い分は「絵のテーマは歴史画や肖像画が理想的で、あくまでも筆のタッチを残さない古典的でオーソドックス、格調高いものでなければならない」という、暗黙の了解や固定観念に囚われたものだったのでした。
これに大いに疑問を持ったモネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌ、ドガ、ベルト・モリソらは協力して、サロンとはまったく別の「画家をはじめとする芸術家の共同出資会社」を設立したのです。そして自分たちの独自の作品の展覧会を企画し実行したのでした。
芸術が変化を恐れず、新たな創造の芽を育み、それを許容する条件や環境が必要なものだとしたら、彼らの勇気ある行動は称賛に値します!
当時の印象派の始動は、現在の絵画の多様性を生み出したという意味でも多大な貢献をしたといえるでしょう。
個性派揃いの印象派画家の中でアルフレッド・シスレー(1839-1899)は、一見すると特徴が弱いように思われがちですが、同時期に印象派の画家として活躍したカミーユ・ピサロ(1830-1903)は「典型的な印象派画家」として、即座に彼の名をあげているのです。
穏健な画風にみなぎる新鮮な感覚
印象派の最大の特徴は、刻一刻と移ろう時間の流れと共に変化する光や陽射し、風、大気の流れなどの自然の出で立ちから受ける感動を理屈ではなく、素直な感覚として描いたものでした。
イギリス人で貿易商だった父の仕事の関係でパリで生まれたシスレーは、印象派という括りではあるけれども、他のフランス人画家とは違う繊細で優美な感性を持っていました。
それはターナーやコンスタブル、ゲインズボロに代表される正統的なロマン派、抒情風景画の系譜を受け継ぐ名手と見ることもできるでしょう。
ルノワール、セザンヌやマネのように個性が際立つ絵と比べると、分かりやすく、感性にストーレートに響く魅力的な絵がこれですね……。
「どこがどう」といった明確なポイントをなかなか指摘しにくい絵ではあります。しかし強い切り口、個性を主張する絵が多い中で、ほっとひと息つけるような癒しと空気感が伝わってくるのです。
ルーブシエンヌへの愛情
この風景画のモチーフとなった場所は、パリからおよそ10キロ離れたフランス北東部のルーブシエンヌという集落です。ここは風光明媚で中産階級の別荘地としても名高く、多くの芸術家が愛した地でした。
シスレーもその魅力に取り憑かれ、一時は住まいを構えていたようです。実際、シスレーはこの地をモチーフに多くの着想を得て、傑作をモノにしたのでした。
『草原』を見ればわかるように、モチーフ(ルーブシエンヌの風景)への愛情は並々ならないものだったのでしょう。
画面上で緩やかに流れる雲は見る者の眼と心を捉えて離しません。また、大地を覆う穏やかな空気感が何ともいえませんね‥‥。派手さはありませんが、変わらぬ自然への畏敬の念や新鮮な驚きと発見が画面上に静かに漂っているのです!
他の印象派画家たちが年を経るごとに大きな変貌を遂げていったのに比べると、終始一貫としたシスレーの画風はある意味潔さも感じるのです。
絵を職業として描く気負いや切迫感がなく、絵がとにかく好きという‥‥いい意味でのアマチュア感覚を持っていることが、この人の持ち味なのかもしれませんね。
パリで印象派が消滅し、20世紀初頭に色彩、タッチ、感情表現において非常に個性の強い絵を描くユトリロやモディリアーニ、ブラマンクといった巨匠たちが登場します。彼らの絵は素晴らしいけれども、いつも観たいという気持ちには正直なれません。特に気持ちが沈んでいるときはそうですね……。
それに対しシスレーの絵は面白みがないとかあまりにも没個性とか言われることもありますが、いつ観ても絵に素直に向かわせてくれ、原点に立ち返らせてくれる絵なのです。
1876年の「ルーブシェンヌの道」も爽やかな風や光、穏やかな空気の余韻がとても魅力的に描かれています。明るくかつ繊細なタッチが何と心地よい風を届けてくれることでしょうか……。