ベートーヴェンの交響曲の代表作は何かと問われたら、ついつい彼自身の人生を凝縮したような第3番「英雄」、第5「運命」、第9「合唱」といった劇的な作品ばかりを勧めてしまう自分がいることに気づきます…。
しかし忘れてはならない作品があります。
彼の創作の原点になった自然の恵みを想いを込めて書いた田園交響曲ですね! 終生かけがえのない存在だった自然との共存を描く傑作中の傑作!
今回はこの交響曲の魅力についてクローズアップしていきます。
人と自然の幸福な共存を描く
自然はいつの時代も人間に無限のメッセージを届けてくれます。
心に美しい記憶を留めたり、感性を育む上ではかり知れないほどの恩恵をもたらしてくれます。
誰もが自然の営みを享受しているし、自然と関わりを持たずに生きることは不可能といってもいいでしょう。
私たちは自然のあるがままの美しい姿を未来へつないでいく大切な責任があるのかもしれませんね。
「人間と自然」……。
自然の音を描写した音楽はいくつもあります。しかし自然の中に現れる神性、切っても切り離せない崇高な関係を音楽として表現した作品は実は数えるほどしかありません。
その代表作品が言うまでもなくベートーヴェンの交響曲第6番「田園」ですね。全曲を通して聴くと、あらゆる部分に崇高な感情が刻印されていることを痛感せずにはいられません。
この曲の凄いところは自然の美しい姿を描いたことではなく、自然との共存から受けるインスピレーションや感動体験を強い共感をもって描いたところにあります。
自然との対話が心の慰め
ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためたのは1802年でした。
この頃の彼は、耳の状態の悪化や取り巻く環境の難しさで八方塞がりになっていて、苦悩のどん底にあったのです。
もはや、すがるもののない彼にとって、唯一の救いとなったのが、決して裏切ることのない自然でした。
また、活路を見出したのが多くの人々に希望を与え、後世に残る音楽作品の作曲だったのです。
ベートーヴェンは風や光、自然の情景や移ろう季節の様子が、人々にどのような感情を呼び起こすのかを音楽にした事を彼の手記に記録しています。
『田園交響曲』は絵画的な描写ではない。
田園での喜びが人の心に惹き起こすいろいろな感じの表現であり、それに付随して田園生活の幾つかの感情が描かれている。 (1808年)
「田園」はその言葉通り、唯一の心の拠り所であった自然への限りない感謝と喜びあふれる感情が満ち満ちているのです。
ロマン・ロランの「ベートーヴェンの生涯」には次の一節があります。
自然はベートーヴェンが生きるための不可欠条件のようだった。「私ほど田園を愛する者はあるまい」とベートーヴェンは書いている。
「私は一人の人間を愛する以上に一本の樹木を愛する…… 森や樹々や厳が返し与える木魂は人間にとってまったく好ましいものだ……
彼は毎日のようにヴィーンの郊外を散策した。 暁から夜まで帽子もかぶらず日光の中、または雨の中を、独りで田舎を歩き廻っていた。「全能なる神よ!森の中で私は幸福である― そこではおのおのの樹がおん身の言葉を語る。神よ、何たるこの荘麗さ!この森の中、 丘の上のこの静寂よおんみにかしずくためのこの静寂よ!」
「ベートーヴェンの生涯」岩波文庫よりロマン・ロラン著/片山敏彦訳
ベートーヴェンは自然に深く溶け込む中で、木の葉のざわめきや光と風、辺りを包む空気などから自然万物の本質や魅力を引き出すことに成功しているのです。
大地が私たちと共に絶えず呼吸し、愛の光で包み込んでいることをまるで音楽で言い尽くしているかのようです…。
何と深い叡智の目と洞察力に満ちた作品なのでしょう……。
特に第2楽章や第5楽章フィナーレを貫いているテーマは自然と語らい、共に生きることの尊さを伝えるかのようです。
聴きどころ
第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」アレグロ・マ・ノン・トロッポ
スーッと心に溶け込むように響く第1楽章の第1主題。
冒頭の懐かしい主題を耳にすると、なぜか穏やかな気分になる。ベートーヴェンの自然や季節の風物詩への深い共感が風光明媚な情景を生き生きと伝えていく。
爽やかな風が舞い、陽差しがあたり一面を照らす……。見慣れたはずの何でもない情景が音楽によって輝きを獲得し、潤いが与えられる。
第1楽章の展開部は心の声に耳を傾けるベートーヴェンが、豊かな感性で自然の偉大さを表現した瞬間だろう。
第2楽章「小川のほとりにて」アンダンテ・モルト・モッソ、変ロ長調
「小川のほとりにて」という標題があるように、第1主題に現れるリズミカルなテーマが小川のせせらぎの様子を表現しているのは明白だ。
優しく微笑みかけるようなテーマは心地よさとともに安心感を与えてくれて、何度聴いても飽きることがない。
第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」アレグロ、ヘ長調
村祭りにあちこちから歓声が聞こえてくる様子なのだろうか……。次第に求心力を増し、壮大な魂のカタルシスに到達するのがベートーヴェンらしい。
第4楽章「雷雨、嵐」アレグロ、ヘ短調
盛夏の午後、辺りがすっかり薄暗くなり、暗雲が立ち込めると同時に雷鳴がどこからともなく響き渡る!
まさに激しい雷雨の情景を音楽にしたものだが、音響的なものだけでなく、人生の縮図にもたとえられる。
激しい苦悩と絶望の中から、しだいに心の暗雲を取り払うような晴れ間が顔をのぞかせる。
第5楽章「嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」アレグレット、ヘ長調
激しい雷雨の後だからなのか、平穏な日常を取り戻したこの楽章の冒頭はたとえようのない安心感を漂わせる。
この後に続く主題の数々も「喜ばしい感謝の気持ち」とあるが、それだけでなく、幾つもの試練と苦難を越えてきたベートーヴェンの生涯と重なり合う。
オススメ演奏
カール・ベーム指揮ウイーンフィル
演奏でまずお薦めしたいのは、カール・ベームがウィーンフィルを振った1976年の録音(グラモフォン)です。この作品の根底にある格調の高さを最も歪みなく表現しています。
金管楽器、ティンパニ等の生々しい響きはもちろん、ウィーンフィルの持ち味である柔らかさに迫力を付け加えた充実度満点の演奏です。
特に素晴らしいのが、第4楽章の「嵐」と第5楽章の「感謝の想い」ですね。楽器の立体的で深みのある響きが存分に生かされています。
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を振った1958年の演奏はさわやかで個々の楽器の味わいを最大限に曲調に生かしたオーソドックスな名演奏です。
雄弁で温もりのある響きを生み出しているのに、重々しくならないところが素晴らしく、多くの人がこの曲に抱いているイメージはほぼ包括していると言っても間違いないでしょう。
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
ブルックナーの交響曲をはじめとする晩年の演奏で名演奏を多く残したチェリビダッケ!
彼の演奏はブルックナーのように重厚で細部を磨き抜いた演奏に通ずるものがあるようです。
この演奏も急がず慌てず、細部から立ちのぼる豊かで奥行きのある響きが深く心に刻まれます。これでこそ田園交響曲は魅力が全開するのでしょう。
特に第1楽章の大地を踏みしめるような厚みのある低弦パートと温もりのある響きに魅せられてしまいます。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル
奇数番号の交響曲の圧倒的な素晴らしさに比べ、あまり評価されていない嫌いがあるフルトヴェングラーの田園ですが、実はこれが素晴らしい!
特に1952年のウィーンフィルとのスタジオ録音は忘れられません。第1楽章のどこまでも深く奥行きのある響き!
決して楽しい雰囲気をイメージしているわけではありませんし、光が燦燦と照らすような情景を表現しているわけでもありません。
フルトヴェングラーは瞑想に浸るように、ある時は大気の流れに身を任せながら自分自身を見つめるように内省的な響きを生み出しているのです。
それでもスケールが大きく、彫りの深い響きは最高で、「田園」にはこんなに深い精神性が眠っていたのか?と改めて驚かされます。
むしろ、大自然の叡智や偉大さを伝えるという意味ではこれが本当の「田園」なのでは?と思うところも少なくありません。
ともすれば「田園交響曲」=さわやかというイメージを連想しがちなのですが、ここで聴かれる田園は自然に宿る神の崇高なメッセージを描いているのです。