存在の本質にどこまでも迫る!  セザンヌ「リンゴとオレンジのある静物」(1895-1900)

 

上手い絵と感動する絵は別物

『リンゴとオレンジのある静物』 1895-1900年。オルセー美術館

絵を描くとき、モチーフ(描く対象物)の形や質感、陰影などに注意をはらって描き進めることは絵の基本で、美大受験時の王道といわれます。

いわゆる絵を描くときの基礎練習がデッサンから始まるといってもいいでしょう。

デッサンは思い込みではなく、正確に物を見る眼を養うことに重点を置いています。

つまり絵が上達するためにはしっかりデッサンを積み重ねて腕を磨く以外に方法がないのです。

でも絵が上手くなって、周りの人から「凄いね!」と言われたとしても、それが「感動を与える絵」なのかどうかは甚だ疑問です……。

なぜかといえば、上手い絵と感動を与える絵はまったく別物だからなのです。

絵の上手い人が感動を与えたり、心に残る絵を描けるとは限らないのが絵画の一筋縄ではいかないところなのです。

オリジナリティが光る

 

セザンヌが現在の美大を受験したら恐らく合格できないのではないでしょうか。(もちろん推測ですが…)

それほど日本の芸大、美大のデッサンレベルは高く、ちょっとしたことでも減点の対象になりやすいのです。

それではセザンヌにデッサン力はなかったのでしょうか……?

いいえ、決してそんなことはありません。むしろあれだけ独自の画法を編み出した人ですから、ちょっとやそっとのデッサン力ではありません。

デッサン力の本質とは、通り一辺倒に形を正確に写し出すだけではなく、理にかなった方法で形を再創造する力が求められるのです。

もちろん、芸大生や美大生に上手い人はたくさんいます。けれども受験のデッサンの感覚からなかなか抜け出せず、「器用貧乏」になってしまう人も結構いるのです。

セザンヌ以前、セザンヌ以降

 

セザンヌの絵を眺めると、「こんな物の見方があったのか」とか、「こういう描き方もあったのか」という新鮮な驚きがあります!

たとえば、遠近法は昔から絵を描く上で絶対に外せない技法として重視されてきました。

しかしセザンヌはこれを自分の絵であっさりと外してみせたのです。もちろん、気まぐれで外したわけではありません。さまざまな試作を描き、苦悩の末にたどり着いた表現だったのです。

セザンヌのように面の積み重ねで色彩を置き、様々な角度からモチーフを描き起こす方法は、今までにない新しいアプローチだったのです。

絵の大原則を破って、ご法度ともとられかねない方法で新たな領域に踏み出したことは、後のピカソのキュビズムやシュールレアリズムのような現代絵画の呼び水ともなったのです。

「リンゴとオレンジのある静物」はセザンヌの数ある静物画の中で最高傑作と称されることも珍しくありません。構図、色彩、形態、マチエール、さまざまな要素が絵の中で巧みに融合し、関係を保ちながら、通常の静物画にはない驚くほどの情報量を伝えてくれるのです。

この絵は主役と脇役の関係が明確です。

もちろん主役はタイトルのとおり、リンゴとオレンジです。リンゴとオレンジを引き立てるために他のモチーフは多少形を崩そうが、遠近感や位置関係をずらそうが、この絵においてはそれはそれで充分に意味があるのです。

果物の存在感と魅力

主役のリンゴやオレンジのしっかりした量感や密度の濃さは並大抵のものでありません。

周到にマチエールが施され、様々な色彩が重ね合わされた一つ一つの果物は、それぞれに個性を持った人物のように存在感を放っています。そして濃厚で芳醇なみずみずしい果実のイメージさえ伝わってくるのです!

何より、目で見た形を描き表すよりも、心に響き、肌で実感した感覚や感動を大切にして描き進めていることが大きな特徴でしょう。

 

アンリ・マティスの絵にも言えることですが、セザンヌはこの絵で精一杯、創作を楽しみ抜いているように思えて仕方ありません!

常識にとらわれず、自分の感性を信じ、絵画技法の基本を次々に克服して、新たに普遍的な見方を作り出す感性のフィルターやヴァイタリティは凄いの一言ですし、頭が下がる想いです。

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