くぎづけになる絵
レンブラントの晩年の作品は、どれも画家の深い息吹が伝わってきて絵にくぎづけになってしまいます。
「ユダヤの花嫁」はその傑作群の中でもひときわ高い境地にある作品と言っていいでしょう。
これほどの作品になると画集や画像を見ただけで、どこまで原画の素晴らしさに迫れるか甚だ疑問ですが、その魅力について少しお話しできればと思います。
とにかく普通の肖像画ではありません。
見栄えを良くするために体裁を整えて描かれた肖像画とは根本的に違う世界がここにあります。
まず、しっかりと人物が描きこまれていることに驚きます。何があろうとも変わらないと思える絶対的な存在感 ! そして、この絵を見る時の途轍もない大きなものに包み込まれるような感覚は一体何なのでしょうか?
この頃のレンブラントは経済的に困窮し、彼を心身ともに支えた最愛の妻ヘンドリッキェにも先立たれて、茫然自失となってもおかしくないような状況だったのでした。
しかし肖像画の制作においては叡智の眼が光っていて、気力の衰えは微塵も感じられないのです。
輝くようなマチエール、溢れるような想いを込めたディテールの表現、じっと見つめていると静かに私たちに語りかけてくるような深い精神性が、いい意味で私たちを打ちのめしてしまいます。
本当に奇跡のような作品と言っても過言ではありません。
行き着いた至高の境地
レンブラントの絵は見続けているうちに、様々な人生の哀歓を語りかけてくることがあります。「ユダヤの花嫁」もそうです。
少しはにかみながら穏やかな表情を浮かべるリベカと、それをねぎらうように身体を寄せるイサクの優しさに満ちた眼差し……。
イサクが差し出す手と、それを受けとめるべく、そっと手を重ね合わせるリベカの手……。何気ない手の動きでこんなにも深い意味を持たせ、さまざまな表情を醸し出す絵はおそらくないのではないでしょうか。
そして二人の表情にも単純に笑っているとか喜んでいるとか…とてもそういう次元では語れないような深い感情が潜んでいるのです!
二人がどれほど強い愛の絆で結ばれているのかを実感するのです。
ただただ、時間を忘れて見入るしかない絵だと言えますね。
描かれたモデル
ここに描かれたモデルは誰なのかということがよく話題になります。
最愛の息子ティトゥスとその妻だという方もいます。もちろんそれは正解でしょう。
ただし、私としてはレンブラント本人とヘンドリッキェの姿もこの絵に重ね合わせていたような気がしてならないのです。
いずれにしてもティトゥスは、レンブラントが生涯愛してやまない一人息子でした。 彼は苦境に陥ったレンブラントをヘンドリッキェと協力してパトロンになって助けたとも言われています。
二人の姿を慈しむように愛情に満ちたタッチで描き出すレンブラントは、どれほど惨めな生活を余儀なくされても心は限りなく満たされていたのかもしれません……。