
あらすじ
ある日、ドン・ジョヴァンニの従者レポレッロは、女性遍歴を次々と重ねる主人のやりたい放題ぶりを嘆いていた。
そこに騎士長の館から助けを呼ぶドンナ・アンナの悲鳴が聞こえて、ドン・ジョヴァンニが逃げ出してくる。娘を救うために騎士長が彼に決闘を挑むが、逆に殺されてしまう。
ドン・ジョヴァンニに捨てられた貴婦人ドンナ・エルヴィーラ、父を殺されたドンナ・アンナとその婚約者ドン・オッターヴィオ、恋人ツェルリーナを奪われかけた農夫のマゼットらは、ドン・ジョヴァンニへの復讐を誓う。
相変わらず傍若無人の振るまいをするドン・ジョヴァンニに石像となった騎士長の声が聞こえ、ジョヴァンニは不覚にも、彼を晩餐に招待する。
その夜、本当に石像が館に現れ、彼にこれまでの行いを悔いるように迫るが、ドン・ジョヴァンニはそれを拒絶する。石像は彼の手をつかむと、地獄へと引きずり込んでいくのだった。
登場人物
- ドン・ジョヴァンニ(バリトン)
女たらしの貴族。従者のレポレッロの記録によると、各国でおよそ2000人の女性と関係を持ったという。剣の腕前も相当なもので、騎士団長と決闘して勝つ。 - レポレッロ(バス)
ジョヴァンニの従者。ドン・ジョヴァンニにはついていけないと思っているものの、お金や脅しで渋々ついていっている。 - ドンナ・アンナ(ソプラノ)
騎士長の娘でオッターヴィオの婚約者。ドン・ジョヴァンニに襲われ、助けようと駆けつけた父親を殺される。 - 騎士団長(バス)
アンナの父。娘を救おうとしてジョヴァンニに殺される。後に石像として彼に悔い改めるよう迫る。 - ドン・オッターヴィオ(テノール)
ドンナ・アンナの婚約者。彼女に復讐は忘れて結婚するよう説得しようとするものの、うまくいかない。 - ドンナ・エルヴィーラ(ソプラノ)
かつてジョヴァンニと婚約するも、その後捨てられたブルゴスの女性。始終ジョヴァンニを追い回し、彼を改心させようとする。ドンナ・アンナたちも圧倒されるほどの気品の持ち主。 - ツェルリーナ(ソプラノ)
田舎娘でマゼットの新婦。純朴そうだが小悪魔的でしたたかな娘。結婚式の最中にドン・ジョヴァンニに口説かれるとその気になる。 - マゼット(バス)
農夫。ツェルリーナの新郎。嫉妬深く、ツェルリーナの浮気な行動にイライラするが、結局は尻に敷かれる。
人間を観る目の鋭さ!

モーツァルトにとってオペラはライフワークで、彼の人生そのものでした。
特にプラハの聴衆に向けて作曲された1786年の「フィガロの結婚」、1787年の「ドン・ジョヴァンニ」はモーツァルトオペラの双璧・最高峰と言ってもさしつかえないでしょう。
「フィガロ」はモーツァルトらしさが全開で、その素晴らしさはもはやあらゆるところで言い尽くされていますが、一方の雄「ドン・ジョヴァンニ」はオペラ・ブッファ(喜歌劇)という形式をとるものの、喜劇という範疇ではとても言い尽くせない不朽の大傑作ですね!
このオペラは1787年にプラハのエステート劇場でモーツァルトの指揮で初演が行われています。それはモーツァルトがこの作品にどれほど自信を持っていたかということの現れといえるかもしれません。
1787年の初演以来、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」は世界中で公演を重ね、大人気の定番オペラであり続けています。
女性とみれば容赦なく口説き落とす稀代のプレイボーイ、ドン・ジョヴァンニが、最後には“天罰”を受けるという勧善懲悪のこのオペラに、生命の息吹を与えたのは他ならぬモーツァルトでした。
劇の後半でドン・ジョヴァンニが地獄に落ちると、「極悪な人間には天罰が下るのよ!」と人々が口々に言い放ってハッピー・エンドで終ったかのように見えます。
しかし地獄に落ちたはずのドン・ジョヴァンニは、なぜか人々の心に生き、生き残ってそれぞれの生活を出発しようとする人たちのほうが色褪せてしまったように見えるは何なのでしょうか……。
ここにこのオペラの謎と魅力、深い人間心理や洞察が隠されているようにも思えますね。

理性では抑えきれない心の矛盾──3人の女性たち

このオペラの聴きどころ(見どころ)は、決してドン・ジョヴァンニの行為の愚劣さなのではありません。
むしろ、真に見どころ・聴きどころと言えるのは、「人間感情の複雑さ」と「表面的な善悪だけでは割り切れない心の揺らぎ」。
それが、ドン・ジョヴァンニをめぐる3人の女性のドラマに、くっきりと浮かび上がっているのです。
ず注目すべきは、ドンナ・アンナ。
ドン・ジョヴァンニに襲われ、さらに最愛の父親を殺されるという壮絶な経験をしながら、なぜか婚約者ドン・オッターヴィオには心が向きません。
実は彼女の中には、復讐の裏で密かに芽生える、ドン・ジョヴァンニへの得体の知れない感情も見え隠れするのです。
また、ブルゴスの貴婦人ドンナ・エルヴィラは、裏切られ、捨てられながらも、彼を愛し続けています。
怒りと愛情が交錯する彼女の姿は、愛というものがいかに理不尽で、計算では動かないものであるかを教えてくれます。
一方、田舎娘ツェルリーナはどうでしょう?
一見すると純情そうな彼女も、ドン・ジョヴァンニの甘い言葉に軽やかに応じ、むしろ誘惑を巧みにあしらう「小悪魔的」な側面を持っています。
音楽が語る「心の奥の本音」

たとえば、ツェルリーナとの二重唱〈手を取り合って〉では、ドン・ジョヴァンニの誘惑に応じつつ、彼女が主導権を握っているようなやりとりが絶妙に表現されています。
恋人のマゼットが怒っても、彼女が「ぶってよ、マゼット」と歌うアリアで、すぐに手玉に取られてしまうあたりは、モーツァルトならではのユーモアと人間観察の鋭さを感じさせます。
暗く不道徳? それでもこのオペラが愛され続ける理由
一部では、「内容が暗い」「倫理的に不道徳」といった批判もありますが、《ドン・ジョヴァンニ》が今なお圧倒的な人気を誇るオペラであることは疑いようがありません。
その大きな理由の一つは、台本作家ダ・ポンテの巧みな人物描写にあるでしょう。
しかし、何より特筆すべきはモーツァルトの音楽そのものです。
- 登場人物の本音と建前を見事に描き分ける音楽性
- シリアスで緊迫感のある場面の演出力
- ユーモアと哀愁が絶妙に入り混じる展開の自在さ
全編聴きどころ満載で、どこをとっても愉悦と興奮に満ちあふれています。
ここには「フィガロの結婚」同様、モーツァルトの音楽の魅力があらゆる場面に凝縮されているといっても過言ではありません。話の筋道やテーマからすると重苦しくなっても少しも不思議ではないのですが、さすがはモーツァルト! 音楽を聴く喜びを犠牲にしてはいないのです。

音楽に宿る“人間への深いまなざし”
《ドン・ジョヴァンニ》の音楽には、どの登場人物にも共感と観察の眼差しが注がれており、それぞれの感情や葛藤が鮮やかに描き出されています。
この「人を見つめるまなざし」は、《フィガロの結婚》にも通じる、モーツァルトの作品全体に共通するテーマです。
レポレッロやツェルリーナ、ドンナ・アンナ……どのキャラクターも個性的ですが、モーツァルトの音楽によってその魅力は何倍にも引き立てられ、舞台上で生き生きと輝きを放つのです。


聴きどころ・見どころ
序曲
カタログの歌
第1幕・レポレロのアリア
イタリアで640人、ドイツで231人、スペインで1003人……、ドン・ジョヴァンニが過去に口説いた女たちの名前を従者のレポレロが歌いあげる。
手に手を取り合って
第1幕・ツェルリーナとドン・ジョヴァンニの二重唱
ツェルリーナとふたりきりになったドン・ジョヴァンニは甘い言葉で彼女を口説きはじめる。彼女もその言葉に心が傾くが、ジョヴァンニの誘惑を焦らしながら、むしろ主導権を握っているようにも感じる。
彼女の心の安らぎこそが
第1幕・オッターヴィオのアリア
ドンナ・アンナがドン・ジョヴァンニに父を殺されたため、父離れが出来なくなり、婚約者のオッターヴィオを愛せなくなってしまった。そのやるせない想いをオッターヴィオが甘く切なく歌う。
ぶどう酒で
第1幕・ドン・ジョヴァンニのアリア
ドン・ジョヴァンニがレポレッロに「みんながワインで酔いしれる盛大な宴を用意させろ」、それから「館に来る村人たちをもっと酔わせ、踊らせて、その間に村娘たちを我が物にする」と言い出す。
ぶってよマゼット
第1幕・ツェルリーナのアリア
ドン・ジョバンニに引き寄せられる浮気性のツェルリーナにマゼットは不満を抱く。ツェルリーナがあの手この手で機嫌を損ねないようにマゼットを上手く持ちあげる歌。
震えよ 震えよ おお極悪人!
第1幕・フィナーレ(全員)
ドン・ジョヴァンニに復讐の炎を燃やす合唱は、レポレッロとドン・ジョヴァンニが慌てふためく様子を交えながら、灼熱の太陽のエネルギーのように興奮のるつぼと化して第一幕を閉じる。
私の素敵な薬をあげるわ
第2幕・ツェルリーナのアリア
ドン・ジョヴァンニから痛めつけられたマゼットに、「ヤキモチを焼くからこうなるのよ」と慰めつつ、「いいお薬をあげるわ」と母親が子供をあやすように甘く語りかける歌。
あの恩知らずが私を裏切った
第2幕・エルヴィーラのアリア
ドンナ・エルヴィーラの勝気な性格を表すとともに、ドン・ジョヴァンニへの断ち切れない深い愛情が漂う歌。
どれほどあなたを愛しているか…
第2幕・ドンナ・アンナのロンド
フィナーレ
全員の合唱
ドン・ジョヴァンニが地獄に落ちたことを「当然の報い」としながら、それぞれが新たな生活を出発していく。音楽は後ろ髪を引かれるような想いを残しつつ、輝かしいリズムを刻みながら劇を閉じる。
オススメ演奏
「ドン・ジョヴァンニ」は昔からオペラの定番演目として高い人気がありました。
フルトヴェングラーが晩年に指揮した歴史的映像(1954年)も出まわってますし、クレンペラー、ワルター、クリップス、カラヤン、ベーム等の大指揮者たちが録音した演奏もそれぞれに魅力があります。
しかし本質を捉えた演奏は意外に少ないものです。ここでは比較的録音の新しい、新進気鋭の才能あふれる指揮者たちの演奏をとりあげてみます。
ヤニック・ネゼ=セガン指揮/マーラー・チェンバー・オーケストラ/ダルカンジェロ/ダムラウ/ディドナート他
録音、演奏、歌手など総合的にみて最も満足度が高いのが、ネゼ=セガン指揮マーラーチェンバーオーケストラ、ダルカンジェロ(Br)ダムラウ(S)ディドナート(MS)他(グラモフォン)の演奏です。
音楽に躍動感や勢いがあり、キャラクターの描写や深い陰影、美しい表情の表現も抜群で、次第に「ドン・ジョヴァンニ」が持つ世界観に引き込まれていきます!
何より小手先の芸やデフォルメで済ませず、このオペラに真っ向からぶつかり、モーツァルトの本質に迫ろうとしているのに大変好感が持てます。
歌手陣も素晴らしく、ダルカンジェロのドン・ジョヴァンニは朗々とした艶のある声が立派だし、ダムラウのドナ・アンナも女性としての気品と威厳がありますね。
ディドナートのドナ・エルビラもモイツァ・エルトマンツェルリーナもぴったりと役にはまり、最後まで音楽劇としての楽しさを満喫させてくれます。
テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナ/ティリアコス/パパタナシュ/ガンシュ他
モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K.527(全曲)
何といっても歌手の自在で感性豊かな表現が光ります!
それぞれのキャストの性格描写が、音楽として自然で高い境地に引き上げられていることに驚かされます!ユーモアの中にペーソスを加えながら多彩な表情がつけられ、モーツァルトらしい生き生きとしたドラマが展開されます。
たとえばドン・ジョヴァンニとツェルリーナのアリア「手に手を取り合って」は、本当に二人が惹かれあってるようで、アドリブのように自然なハーモニーに酔わされます。
クルレンツィスの指揮は「フィガロ」同様、これまでの常識的な解釈ではなく、音楽の本質を徹底的に掘り下げようという試みが見事ですね。
録音がやや乾き気味で潤いに乏しいのが唯一の欠点でしょうか……。
最後に──モーツァルトは人間を愛していた
《ドン・ジョヴァンニ》は、ただの教訓劇や恋愛ドラマではありません。
ここにあるのは、善悪を超えた「人間のリアルな感情」と、それを見事に描き出す音楽の力です。
ドン・ジョヴァンニという人物の破天荒な生き様に翻弄されながらも、私たちはいつの間にか登場人物たちの揺れる感情に共感し、心を奪われていきます。
この深くて複雑な物語を、こんなにも「聴く喜び」に満ちた音楽で包み込んでしまうモーツァルト。
彼の天才ぶりを改めて感じさせてくれる、まさに不朽の名作です。