血みどろの闘いのはてに
ハイリゲンシュタットを散歩するルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
本当の幸福、いや幸福感と表現したほうが適切なのかもしれませんが……、幸福はただ黙って日々誠実に正直に生きていれば、あるとき自然に手に入るものなのでしょうか。
残念ながら決してそのようなことはないでしょうね……。
幸福は待っていれば訪れるという類のものではありません。
恥ずかしながら私もかつては、「幸福は真面目に生きていれば自ずと手に入る…」そのようなイメージや妄想を漠然と抱いておりました…。
でも実際はそんな都合のいい話などありません。
天国は地獄を通過した者でなければ本当の良さを味わえないといいますし、到達できないともいいます。
極端なことを言えば、地獄を見るような体験、理不尽な想いを何度もしながら、自暴自棄にならず、希望を失わず、自分が歩むべき道を切り開くべく弛まぬ努力をした人こそが、本当の幸福を謳歌できるのだと思います。
そしてそれを実証するように地獄を垣間見ながらも、血みどろのたたかいを克服し、勝利の実感を高らかに謳った典型的な音楽作品があります!
それがベートーヴェンの交響曲第5番、通称「運命」ですね!
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を聴くと、おそらく一般的な幸福とは縁遠かった彼が、人間的な深さや叡智において誰もが叶わないほどの凄い境地に到達してしまったのではないか…と思えるのです。
激動の生涯を生き抜いたベートーヴェン
皆さんご承知のように、ベートーヴェンは音楽家として決して恵まれたレールの上を辿ってきたわけではありません。
むしろアルコール依存症で働かない父。家計を支えるためにいくつもの仕事を掛け持ちしたり、兄弟たちを親代わりで面倒をみる毎日……。挙げ句のはてには致命的な病気(極度の難聴)が発覚する現実…。
愛情に人一倍敏感だったベートーヴェンですが、17歳のときには最愛の母が亡くなるという不運も重なります。
どれをとっても過酷な運命を背負って生きてきたと言わざるを得ません。
ついには1802年に自殺まで思い立ち『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたためます。
しかしその後自分が生きる道は音楽しかないということを悟り、音楽を通して多くの人の苦悩を共有する音楽を届けたいと切望するようになります。
第5交響曲はベートーヴェンの大きな転機になり、ベートーヴェンの名前を歴史に決定づけた大傑作です。
もしかしたら、それまでの苦労や悲しみ、絶望の境地はこれほどまでに素晴らしい作品を書くために課せられた使命というか、天命だったのではないかとさえ思えてくるのです……。
コンサートの鉄板プログラム
リハーサルでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するヴィルヘルム・フルトヴェングラー。ベルリンのティタニア・パラスト。1947年5月24日。 (Photo by Imagno/Getty Images)
第5交響曲は皆さんよく御存じの「ダダダダーン!」の出だしで始まる名曲です。日本では昔から「運命」という標題で有名でした。
パロディや、深刻なシーンでこの曲の冒頭が面白おかしく使われることが多いのは皆さんご存知でしょう!
音のドラマが心を揺さぶり、充実度満点のベートーヴェンの交響曲第5番は昔から多くの指揮者がこぞって取り上げた作品でした!
苦悩から歓喜へ至る勝利の道程は人の心を鼓舞する強いメッセージがありますし、演奏効果がすこぶる高いことも人気の要因です。
でも、この作品は決してネガティブなイメージが売りの曲ではないのです。もちろん絶望的な曲でもありません。
この曲は人間の心に潜む闇の部分や心を縛りつけている邪悪な力に対する真剣な、そして大々的な挑戦状なのです。
交響曲第5番「運命」は人間の心の葛藤や挫折と勝利への道程が、古典主義的な形式のなかにギュッと凝縮されて表現されています。
しかも作品に盛り込まれた内容はまるで現代音楽を思わせるほどの斬新さで、既に古典の枠を大きく抜け出しているのです。
美しいためならば破り得ない法則は何一つない
「さらに美しいためならば破り得ない法則は何一つない」というベートーヴェンの名言はこれを見事に実証しているといえるでしょう。
それは有名な第1楽章冒頭の救いようのない絶望感とそれを克服しようとする主題の激しい精神の相剋にはっきりと表れています。
このような精神の葛藤のテーマは更に第9の第1楽章で驚くべき深化を遂げていきます。しかし、このように暗く悲劇的な主題が決して人を失意や絶望感に陥れることはありません。
それは希望の光が照らされることを信じて疑わない彼の強固な信念が作品の隅々に反映しているからなのです。
「第5交響曲」は決して深刻ぶったり、演奏効果を思い浮かべながら書かれた曲ではなく、ベートーヴェン自らが心底実感し溢れ出る強い想いを書き留めたのがこの作品のエキスなのです。
聴きどころ
第1楽章 Allegro con brio
メロディ的な要素がなく、すべてを呑み込むような強烈な不協和音の第1主題から、既にただならない気配が辺り一面を覆う。
たたみかけるような絶望的な経過句や雄々しく立ち向かおうとする心の起伏や緊迫感が曲が進行するにつれて魂の叫びや訴えを表出していく!
第2楽章 Andante con moto
回想や瞑想…。ここではさまざまな想いが夢のように交錯する。しかしベートーヴェンは自分の真の姿を取り戻しつつ、過去に決別しながら着実に前進するのだ。
第3楽章 Allegro. atacca
この楽章の冒頭は第5で最も印象的な部分かもしれない。暗闇の中からゆっくりと顔を上げ、恐れと不安に怯えながらも地に足を着けて歩き出す姿が印象的!
第4楽章 Allegro – Presto
圧倒的な勝利の凱旋!執拗なほど何度も何度も繰り返される歓喜のテーマは有無をも言わせぬ感動と興奮を引き起こす!
オススメ演奏
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル
誰が何と言おうと、いまだに第5の決定版として微動だにすることなく君臨する名演奏!
ベートーヴェンの演奏は楽器の響きのバランスやテクニック以上に、瞬間瞬間の閃きや心の深奥に迫るメッセージを体感できなければ意味がないとさえ言われることもあります。
そのことを強く実感でき、興奮のるつぼと化するのがフルトヴェングラーの演奏でしょう!
要所要所で登場するホルンの存在感のある響きをはじめ、チェロやコントラバスなどの低弦楽器をとことん抉った呼吸の深さなど、音楽の端々にベートーヴェンが伝えようとした心の息吹がストレートに感じられるのです。
録音が1954年のモノーラルなので音質の鮮度や色彩感には欠けますが、それでもスタジオ録音ならではの生々しさがあり、充分に鑑賞に耐えうる演奏と言えるでしょう!
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
セルジュ・チェリビダッケがミュンヘンフィルを指揮した1992年のライブ演奏(EMI)は音質も良く、オススメです。
第1楽章からチェリビダッケ独特のゆったりとしたテンポで始まりますが、引き締まった造型と磨かれた立体的な響きが他では味わえないような充実した演奏を創り出しています。
第一楽章は一般的に早いテンポでグングン押していく指揮者が多いのですが、チェリビダッケはテンポを変えたり、興奮して加速したりということが一切ありません。ただ有機的で気持ちのこもった楽器の音色が最上の純音楽的な美しさを引き出しているのです!
特に素晴らしいのが第3楽章の冒頭の暗闇からの目覚めを表出する意味深い響きではないでしょうか。
絶望や喘ぎを深い呼吸でじっくりと表現しており、思わず感情移入させられます。
それに続く第4楽章も金管楽器の強奏を始めとする、これぞベートーヴェンという隙のない響きがたとえようのない満足感を与えてくれます!録音が素晴らしいところも魅力で、現在フルトヴェングラーの数種類の録音を除けば、最も安心して聴ける演奏と言っていいかもしれません。