無限の愛と癒やし
BGMとしても有名で、クリスマスシーズンになると、天にも届けとばかりに高らかに歌いあげられるヘンデルの「ハレルヤコーラス」。
これを耳にするとなぜか胸が高鳴るし、思わず聴き入ってしまいますよね……。
その有名な「ハレルヤコーラス」が含まれるヘンデルのオラトリオ「メサイア」。「メサイア」は彼のすべての作品で、最も有名かつ魅力的な作品といっても過言ではありません。
それだけでなく、あらゆるオラトリオの中で最も魅力的な作品と言えば、やはり「メサイア」ということになるでしょう。
よくバッハのマタイ受難曲やベートーヴェンのミサソレムニスあたりと比べて、「ちょっと軽い感じがする」と言う人がいますが、そもそも目指す音楽の方向性が違いますよね。
もちろん「メサイア」はカトリック、プロテスタントのような宗派の壁など関係なく、あらゆる人々が親しみ、愛される作品を目指したのは間違いありません。
メサイアの一番の魅力は、長編の作品としては異例の簡潔さとメロディの口ずさみやすさがあげられますね。
音楽はとてもシンプルで、よけいな肉づけはされていません。それなのに聴き手に与える感銘と演奏効果は絶大という驚くべき作品なのです。
作品から歩み寄ってくる
あまり話題になることはありませんが、ヘンデルの音楽性、創作力の高さは尋常ではありません。
冗長になったり、気が抜けたり一切しないのも、メサイアの音楽としての完成度の高さを示していますね。
アリアや合唱、オーケストレーション、どれをとっても明瞭でシンプルですが、すべてにおいて優美で気品が漂います。もちろん堅固な建築物のような微動だにしない強さと輝きも持ちあわせているのです。
バッハのマタイやミサ曲ロ短調を聴く時は、ときおり心の準備をしないと作品に入れない感じがするのにメサイアはちょっと違います!
作品のほうから私たちに歩み寄ってきてくれるといってもいいかもしれません。しかも音楽が進むにつれて何ともいえない幸福感で満たしてくれるのです。
ヘンデルはこの作品をわずか3週間あまりの猛烈なスピードで書き上げてしまうのですが、それでも音楽的な窮屈さや、薄っぺらさとはまったく無縁です。しかも聴くほどに感じる無類の美しさや懐かしさ、充実感は一体何なのでしょうか…。
アリア、合唱曲の比類なき魅力
世には多くのオラトリオ、宗教音楽がありますが、「メサイア」ほど合唱の効果が魅力的に表現された作品は例がないのではないでしょうか。
中でも「こうして主の栄光があらわれ」、「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた」、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」、「門よ、こうべをあげよ」、「ハレルヤコーラス、全能者にして主なるわれらの神は」、「ほふられた小羊こそは~アーメンコーラス」等は永遠に語り継がれるべき合唱の名曲と言えるでしょう。
どれもすぐに口ずさめるような親しみやすさがあり、心を癒し、気持ちを鼓舞し、心の原点に回帰するような清澄さがあります!
たとえば第2部 第30曲の合唱曲「門よ、お前たちのかしらを上げよ 」を聴いてみましょう。
このナンバーはヘンデル自身の二重協奏曲から転用したもので、とにかく合唱の美しさが際立っています。
イエスの復活を告げる驚きや感動が、ソプラノパートを3部に分けつつ、問いかけや応答という形でストーリー風に開始されます。
やがてそれはイエスの感動的な復活と共に、美しく気品に溢れた表情として鮮やかに浮かび上がってくるのです。
聴きどころ
序曲
第1部 第3曲 アリア:もろもろの谷は高くせられ(T)
もろもろの谷は高くされ、もろもろの山と丘とは低くされ、高底のある地は平らになる(イザヤ書40篇)
救世主の出現によって、身分や階級、人間の心の障壁はなくなるということを歌いあげる。
第1部 第4曲 合唱:こうして、主の栄光があらわれ
イエス・キリストの誕生を前に、喜びや希望にあふれる合唱が晴れやかに歌われる。
第1部 第12曲 合唱:ひとりのみどりごがわれわれのために生れた
待ちこがれたイエス・キリストの誕生がついに実現した。その喜びと神への感謝を綴る合唱
第1部 第18曲 アリア:シオンの娘よ、大いに喜べ(S)
オペラのように軽快なテンポと弾むようなリズムが印象的なソプラノによる喜びに満ちあふれたアリア。
第1部 第20曲 アリア:主は羊飼いのようにその群れを養い(S、A)
すべてを覆い尽くす神の愛の偉大さを歌う。叙情的でゆったりしたテンポで進行するラルゴ調のアルト、ソプラノのアリア。
第2部 第26曲 合唱:見よ、世の罪を取り除く神の子羊
第2部、イエス・キリストの受難の幕開けを告げる悲哀に満ちた合唱。
第2部 第33曲 合唱:門よ、こうべをあげよ
イエスの復活に驚きや感動を表す合唱。
ソプラノパートを3部に分けて、問いかけや応答という対比的な技法を用いながらも、音楽的な違和感がまったくない。格調高く、気品に溢れた情感が鮮やかに浮かび上がってくる。
第2部 第44曲 合唱:「全能にして主なるわれらの神は」ハレルヤコーラス
単独でもよく演奏される名曲中の名曲! 全能の神を讃える歌としてこれほどふさわしい音楽はないだろう。単純明快な主題から広々とした世界が創出される音楽の展開やエネルギッシュな高揚感は圧倒的。
音楽の要素が次々に生成され発展していく見事さなど、どれをとっても合唱曲の粋を結集させた大傑作と言っても過言ではない!
第3部 第45曲 アリア:わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる(S)
牧歌的で穏やかな旋律が心をひきつける。神ヘ想いを馳せる美しい記憶が全編を覆う。
第3部 第48曲 アリア:ラッパが響いて(Br)
トランペットの前奏、伴奏が印象的なテノールのアリア。死せる者から永遠の生命への変容を力強く歌い上げる。
第3部 第51曲 合唱:死よ、お前の勝利は、どこにあるのか
暗黒の闇のような死が、イエス・キリストの貴い犠牲と復活によって、私たちにも勝利が等しく注がれていることを謳う合唱。
簡潔な旋律の中にも、深い思慕と揺るぎない確信が満ちあふれる。
第3部 第53曲 合唱:ほふられた小羊こそは
次のアーメンコーラスと共に全編の総決算となる音楽。人智を超えた深い愛ヘの想いが限りない賛歌となる。
第3部 第54曲 合唱:アーメンコーラス
「ほふられた子羊」より、間を空けずに演奏される最終曲。「アーメン」と調を変えて、合唱で何度も連呼されるだけなのだが、このたとえようのない癒やしは何だろう……。
尽きない神の愛の懐に抱かれるような安心感と温もりが全編に漂う!
オススメ演奏
演奏ですが、メサイアだけは演奏がよくなければ話になりません。
なぜかといえばメサイアほど演奏の良し悪しによって受ける印象が大きく変わる作品はないからです。
演奏次第で空前の名作だと実感することもあれば、平凡な音楽に聴こえてしまう恐れも多分にあるのです。したがって演奏選びも「メサイア」を聴く重要なポイントとなるでしょう。
ペーター・ダイクストラ&バイエルン放送合唱団、ジュリア・ドイル(S)、ニール・デービス(Br)他
フリーダ・ベルニウス指揮シュトゥットガルト室内合唱団、キャロライン・サンプソン(S)、ダニエル・テイラー(CT)他
メンデルスゾーンやバッハの声楽曲で名演をほしいままにするベルニウスですが、ヘンデルの声楽曲の録音はこの「メサイア」が初めて。ベルニウスのレパートリーを考えれば仕方がないのかもしれませんね。
もちろん精緻で透明感あふれる合唱は素晴らしい限りです。特にソプラノの澄みきった発声はメサイアの作風にピッタリといえるでしょう!細部まで神経が行き届いたベルニウスの手腕もさすがです。
ソリストはサンプソン、テイラーなど実力派が揃いますが、一様に羽目を外さない硬派でオーソドックスな表現が好みが分かれるところでしょう。
アントニー・ウォーカー指揮カンティレーション、アンティポディース管弦楽団、他
これは現代楽器、古楽器の演奏を問わず、メサイア演奏の常識にとらわれない実に新鮮な演奏です。
特に合唱は秀逸ですね。ソプラノを前面に押し出した伸びやかで明るい発声、バランス感覚に優れ、なおかつ美しい情感が漂うセンス満点の歌唱に惹きつけられます!
ソリストもそこそこ粒ぞろいですし、ウオーカーの指揮は作為的な表現や演出がかった効果が皆無で、自然に音楽を歌わせているところに好感が持てます。
ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団、オックスフォードクライストチャーチ聖歌隊、カークビー(S)、トーマス(Br)他
ホグウッド盤は、かつての絢爛豪華で大規模なメサイア演奏の対極に位置する演奏でした。
この演奏こそ、メサイア演奏の新しい可能性を切り開いた演奏と言えるでしょう!
30年以上経った今でも演奏は古さを感じさせませんし、突出した音楽センスやヘンデルの音楽への深い造詣が成し得た技なのかもしれません。
少年合唱の無垢でみずみずしいハーモニーやカークビーのヴィブラートを排した透明感に満ちた歌は今なお最高です。
トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュコンサート&コーラス、アーリン・オジェー(S)、アンネ=ゾフィー・ファン・オッター(MS)他
トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート&コーラス、アーリーン・オジェー(ソプラノ)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾソプラノ)、マイケル・チャンス(カウンターテノール)、ハワード・クルック(テノール)、ジョン・トムリンソン(バリトン)(アルヒーフ)は何と言っても歌手陣が豪華で凄いの一言に尽きます。
いずれ劣らぬ歌心の持ち主で、特にオジェーやオッターのアリアやレチタティーヴォは全編の華と言っていいでしょう。
合唱はこれという特徴こそないものの、フレーズに心が通い安心して聴くことが出来ます。
ポール・マクリーシュ指揮ガブリエルコンソート&プレイヤーズ、ドロテア・ロッシュマン(S)、スーザン・グリットン(MS)他
マクリーシュの演奏は快活でスピーディー、少々デフォルメを加えた大胆な演奏といえるかもしれません。
それにもかかわらず、聴こえてくる音楽は透明感にあふれた正真正銘、純正のメサイアです。
ガブリエルコンソートの合唱は最高で、高度なテクニックで意味深く豊かなハーモニーを綴っています!ソプラノのロッシュマン、グリットンらをはじめとする歌の饗宴も最高です!
マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・ド・ルーブル、リン・ドーソン(S)、マグダレーナ・コジェナー(MS)
発売当時、メサイアらしくない演奏だ!?とか、過激だとか……、あまりよろしくない評価を受けてきました。
でも本当にそうなのでしょうか?
改めて聴いてみるとこの演奏に込めたミンコフスキの並々ならぬ思いが伝わってきます。それはメサイアの音符から生きたドラマや精神性を描き出そうという強い信念なのです。
それならメサイアの本質や透明感のある響きから遠ざかってしまうのでは……、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、決してそうではありません。
全体的にこのメサイアの合唱は強いダイナミズムに貫かれていて、一気呵成に進められていくし、求心力があります。けれども威圧的にはなってないし、とことん突き詰めた深い表現が、さすがミンコフスキと思わせます。
たとえば、第二部の「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」の 合唱は他の演奏からは聴くことができない苦悩や孤独がひたひたと伝わってきます。
また、ドーソンやエインズリー、アサワらの歌はいずれも心の歌を強く印象づけますし、存在感充分です。
ただ納得できないのは「ほふられた子羊たちは~アーメンコーラス」で結ばれる最後の大規模な合唱の部分です……。
深い内容を引き出そうとしたのかもしれませんが、これだけはちょっといただけません。とにかく最後の最後まで苦悩を引きずっているような感じがしてくどいのです……。
「終わりよければすべて良し」とはよく言いますが、よりによって最後の感動的で大事なコーラスだけに、これは少々後味が悪いし残念ですね。