散々なほど貶された絵画
今やドミニク・アングルの代表作として名高い「グランド・オダリスク」ですが、1814年に公開されてしばらくの間は決して世評は高いとは言えませんでした。
むしろ格好の攻撃対象としてサロンでは散々な非難を浴びたのです。
その非難のほとんどが「解剖学的にこれはおかしい」とか、「実際にありえない人間の身体だ」という内容だったのです。
特にひどかったのが、1819年のサロン出品時でした。ある批評家は、「この絵は骨も筋肉も、血も生気もない。模倣に値するものはなにもない」と吐き捨てています。
確かによく見ると異様に長く見える背中の曲線と小さな頭部…。不思議といえば不思議な絵です。しかしよく考えてみると当時は映像はもちろん、写真も存在しない時代。
アカデミックなデッサン力を大前提にして対象やテーマに忠実に、人々に夢と安らぎを与える絵を描くのが画家の領分だったのです。
そのような観点から見れば明らかにアングルの絵は異質。そしてあえて人間味を拒否し、クールに描かれる絵に多くの知識人は嫌悪感を抱き、脅威を感じたのでしょう。
もしかしたらアングルの絵は時代を数十年先取りしていたのかもしれません。そして本当にデッサン力があり、実力ある画家でなければ不可能なデフォルメの粋。
そして、この絶妙なデフォルメの技法でアングルは、来たるべき時代を席巻するようになるのでした。
ダヴィッドの絵がモデルに
「グランド・オダリスク」のモデルとなったのが、1800年にジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた「レカミエ夫人の肖像」でした。確かにこの絵とシチュエーションはほぼ同一です。
ただ、やや硬さを残す「レカミエ夫人」に比べ、「グランド・オダリスク」は滑らかでリラックスした姿態が印象的です……。
その形や動きはどこまでも自然で滑らかで、人間の身体のスムーズな動きをしっかり把握し、体感しているかのようです。
これだけを取り上げても、アングルがいかに物の本質を冷静に分析しているかが明確なのです。
新時代の幕開けを告げるメッセージ性
アングルは稀に見るリアリズムの画家であり、筆舌に尽くし難いデッサンの達人でした。
とにかく彼はデッサンの申し子のような人で、デッサンだけでも絵が充分に成立するような目茶苦茶な力量を誇っていたのです。
この「グランド・オダリスク」はアングルが到達したリアリズムの極地といえるかもしれませんね。
感動というより、造形的な試みや作品の完成度の高さに驚かされる作品です。前述したように女性の背中の異常な長さもそのひとつでしょう。
もちろんデッサンの達人アングルがこのことに気づかなかったわけはありません。
おそらくデフォルメの効果を逆手にとって、より形の美しさや優雅さ、視覚的なインパクトを引き出そうとしたのでしょう。
この絵の特徴として、女性の内面美や、場の臨場感や雰囲気を表現するという意識はほとんど働いていないようです。モデルの身体のカーブをはじめとする徹底した様式美を追求しているのです。
特にラファエロの聖母像によく似た顔立ちの女性やアカデミックなタッチ、研ぎ澄まされた色彩が独特の雰囲気を醸しだしているのは間違いありません……。
あえて人間的な感情や情緒の表現を拒絶して、古典的な様式美を確立しているようにも見えますね。
近代・現代絵画に多大な影響!
「グランド・オダリスク」は、横たわる裸婦を扱った絵画の中でも、最も美しいポーズを刻印した記念碑的作品のひとつと言っていいかもしれません。
当然、構図の見事さもあげないわけにはいかないでしょう。
人体の右隣にあるカーテンは流線形の美しいフォルムをさらに引き立たせるポイントになっています。すべてのモチーフや家具が人体を引き立たせ、絵を構成する重要なパーツになっているのです。
ピカソを始めとするキュビズムの画家たちにも多大な影響をもたらした言われるアングルの絵。
ラファエロや古典派の絵画の伝統を継承するため研究を重ねてきたアカデミックな絵は、一方では新時代の幕開けを告げるメッセージ性にも富んでいたのです!