宗教の枠組みを超え、声楽の可能性を究めた渾身の作!バッハ:ミサ曲ロ短調

一般的にミサ曲はカトリックの典礼儀式で演奏され、歌われるものという概念があります。

しかし、バッハやベートーヴェンの作品になると、もはや典礼音楽や宗派云々という狭い枠組みは問題なくアッサリと超えてしまいます……。

やはり形や目的は関係なく、いいものはいい、芸術的な作品は傑作として語り継がれることになるのでしょう。

今回はカトリックとプロテスタント的な要素を共存させながらも、200年以上に渡って不朽の傑作、演奏会の花形として君臨し続けてきたバッハのミサ曲ロ短調をとりあげてみます。

ライフワークとして作曲された

 

 

音楽の形式や言葉は明らかにカトリックのミサなのに内容的、精神的にはコラールを中心にしたカンタータやモテットに近いという何とも厄介(?)な作品がバッハのミサ曲ロ短調です。

この作品はバッハがライフワークのように、数十年もの年月をかけて段階的に作曲した作品でした。

「神に栄光を帰す」を生涯のテーマに掲げて創作に取り組んできたバッハにとって、これは作品の成立した背景や内容からしても一つの結論と考えてもいいかもしれません。

輝かしさ、敬虔さ、宗教的情感、声楽作品としての芸術性の高さ、どれをとっても非の打ちどころのない作品ですね。特に傑出しているのは、全体の半分以上の割合を占める合唱でしょう。

それぞれの合唱は独立した声楽作品というよりは、キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥスというミサ曲の括りの中で有機的な関係性を持った神へのメッセージでもあるのです。

ですから、この作品をお聴きになる場合は選んで聴くよりは、通して聴いていただいたほうが(またはキリエ、グロリア、クレド…と、括りで聴いていただくのも良いかと…)はるかにバッハが何を言いたかったのかが直接的に伝わってくるでしょう。

 

宗派の壁を超えたミサ曲

 

キリエの合唱で、冒頭から形を変えて何度も繰り返される「主よ我を憐れみたまえ♪」のフレーズは通常ですと単調になりやすい構成です。

しかしバッハの手にかかると、打ちひしがれた魂が次第に音楽としても言葉としても高揚し、敬虔な響きとなり、遂には神に許しを請う強い実感を伴った響きとなって伝わってきます。

グロリアやクレドの壮麗さは音による輝かしさではなく、愛と信頼による心の調和や平安を願うバッハの心意気が作品として強く息づいており、曲が進むにつれて胸が熱くなってきます。

また、グロリアの中間部と全体の最後に挿入される「Qui tollis peccata mundi」と「Dona nobis pacem」は歌詞こそ違えど、まったく同じ旋律のコラール(ルター派をはじめとするドイツ・プロテスタント教会の礼拝等で歌われた賛美歌)で、この作品の大きなアクセントになっています。

同じコラールのはずなのですが、どういうわけか違うナンバーに聞こえてしまうのは、やはりバッハの曲中の扱い方や巧みな構成力の成せるわざなのでしょうか……。

 

この作品が出来上がった背景には諸説ありますが、私が思うにはバッハが誕生する数十年前、ドイツでは30年戦争(1618年~1648年にかけて、ドイツやヨーロッパ諸国を中心にプロテスタントとカトリックの間で起きた歴史上最大の宗教戦争)の開戦中でした。

おそらく、大多数の国民は終わりなき戦いに辟易し、疲弊していたのでしょう。

前述のように「神に栄光を帰す」というポリシーで作曲してきたバッハにとって、そのような世の不条理と同じ神を信じる者の醜い争いには到底我慢できるはずがなく、その強い想いがプロテスタントとカトリックの壁を超えたミサ曲として結実させた一因になったのではないでしょうか……。

聴きどころ

キリエ : 主よ、あわれみたまえ(合唱)

本作の冒頭の合唱。身につまされるような哀しみと嘆きを伴う主題が少しずつ形を変え、発展しながら幾度となく繰り広げられる。

グローリア:天のいと高きところに神の栄光(合唱)

輝かしく、躍動的なグローリアの導入曲。重苦しい空気を切り裂くようなトランペットの華やかなアプローチが印象的。

グローリア:神なる主、天の王(ソプラノ/テノール二重唱)

フルートと弦の柔らかで可愛らしいメロディ、ソプラノとテノールの優美なデュエットがひとときの安らぎのときを約束してくれる。

グローリア:主のみ聖なり、主のみ王なり(バス・アリア)

コルノ・ダ・カッチャというフレンチ・ホルンの原型ともいうべき楽器とファゴットの伴奏が強く印象に残る。バスのアリアもその伴奏をベースに牧歌的な旋律を歌う。

クレード:われは信ず、唯一の主(ソプラノ/アルト二重唱

揺るぎない信頼と感謝の想いから醸し出される喜びのデュエット。内なる想いを表現した確信に満ちた力強い楽曲。

クレード:罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を(合唱)

打ちひしがれた悲しみ、苦悩の想いを、バッハ一流のポリフォニーとグレゴリア聖歌のカノンで進行させた完成度の高い楽曲。

クレード:死者のよみがえりと、来世の生命とを(合唱)

復活を強く意識した希望と喜びの合唱曲。前曲との明暗の対比が印象的。

アニュス・デイ:われらに平安を与えたまえ(合唱)

第6曲グローリア「主の大いなる栄光のゆえに」と同じ楽曲。ルター派の賛美歌に敬意を表してエンディングに置かれている。バッハの心の原点を想わせる。

 

オススメ演奏

ミサ曲ロ短調は録音が非常に多く、演奏形態もモダン楽器やオリジナル楽器の演奏の他、合唱のパートも大人数、少人数の演奏と多種多彩で、様々な名演奏を聴くことが出来ます! 

「ミサ曲ロ短調」は作品の内容、スタイルからしてもマタイ受難曲やヨハネ受難曲のようなドラマチックで情緒豊かな演奏向きとは違い、無駄な表情や過剰な思い入れはできるだけ排除したシンプルなスタイルが好ましいように思われます!

 

ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)モリソン(S)ブレイグル(A)モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

Bach, J.S.: Mass in B Minor

 

中でも最も心惹かれるのが、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(SDG)です。2015年のライブ録音ですが、とにかく合唱の精度の高さは半端ではありません。特にグロリアやサンクトゥス等では主題というより、ともすればサッと流してしまいかねない中間部や経過句といったつなぎの部分のうまさが際立っています!

ソリストたちの歌も大袈裟な表現になるのを極力抑え、それぞれ透明感を湛えつつ、心地よいバランスと表情を保っているのがいいですね。

全体的に極めて音楽性が高く、流れを損なうことなく一気に聴かせてしまう表現力はさすがです。しかも、しっかりと本質を突いており、先入観なしでミサ曲ロ短調を聴いても充分に美しく、聴く喜びを与えてくれる演奏でしょう。

トーマス・ヘンゲルブロック(指揮)バルタザール=ノイマン合唱団、バッハフライブルク・バロック・オーケストラ

J.S.Bach: Mass in B minor BWV.232

トーマス・ヘンゲルブロック指揮バルタザール=ノイマン合唱団、バッハフライブルク・バロック・オーケストラ(ドイツハルモニアムンディ)もオリジナル楽器の演奏ですが、合唱も管弦楽もまったくわざとらしさがなく、自然な発声と情感溢れる表現が素直に心に響いてきます。

恐らくミサ曲ロ短調で、これほど心の通った合唱のハーモニーを聴くのは初めてのことではないでしょうか……。ヘンゲルブロックのタクトも奇をてらわず、見事としか言えません!

トン・コープマン(指揮)シュリック(S)ヴェッセル(A)アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団

Mass in B Minor

 

トン・コープマン指揮アムステルダムバロック管弦楽団と合唱団の演奏は、自然な発声の透明感にあふれた合唱が美しく、手垢にまみれたミサ曲ロ短調のイメージを大きく覆しています。

全編を通じて聴きやすさでは恐らくピカイチで、これからミサ曲ロ短調に親しもうとする方にはうってつけの演奏かもしれません。ソリストたちの歌もセンス満点です!

 

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