普段、私たちは目的を成し遂げるために、少々のことには目をつぶり、時間に追われ、雑多な出来事に振り回されたりしながら、日々の生活をまっとうしています。
ともすれば目先の現実に向きあうことが精一杯で、人間的な心のふれあいが置き去りになっていたり、自分自身を見つめることがなかったりするのではないでしょうか?
あるいは、潜在的に自分自身のことを振り返ろうとしていないのかもしれません……。
でも誰もが人生の節目を迎えると「はた」と思い当たり、心の奥底では絶対に避けては通れないことなのだと自覚しているのも事実なのでしょう。
1957年のスウエーデン映画「野いちご」の主人公、老教授イサクもまさにそのような状況だったのでした。
あらすじ
医学の研究と長年の功績に対して名誉学位を受章することになった老教授イサク。
その授与式は最高の栄誉の日になるはずだった。しかし前夜の不吉な夢のため、イサクの心は重く塞がっていた。そこでイサクは授与式当日の予定を変更して、会場まで車で向かう。
半日に及ぶ車の旅は彼にとって、これまでの自分の人生を振り返る貴重な時間となった。走馬灯のように思い浮かぶ情景は研究者としての輝かしい名声とは裏腹に、どれもこれも空虚なものだった。
また、イサクは会場へ向かう途中で様々な人物に出会うが、彼らとの出会いや過去への後悔の想いが、徐々にイサクを変えていく。
授与式前日の恐ろしい夢
医学界では誰からも厚い信頼を受け、尊敬の眼差しで見られる老教授イサク。
そんな彼が医学名誉学位の授与式の前日に恐ろしい夢を見ます。
その夢があまりにも恐ろしかったことから我に帰り、走馬灯のように屈折した様々な過去の情景が蘇っていきます。
映画「野いちご」(1957年、イングマール・ベルイマン監督)
これは夢を通じて眠っていたものが呼び起こされた一種の「気づき」だったのかもしれません…。
イサクは医学の分野では大きな功績を積み重ね、周囲の人々からは尊敬されてきました。しかし、彼自身は心のふれあいに乏しく、愛に飢え渇く孤独な人生だった事を認識するようになるのです。
そのことに気づいた彼は「名声や権威が一体何だというのか……。私の人生は人としてどれだけの意味があったのだろう?」と、自問したり後悔したりするようになるのです。
これはとても他人事とは思えないリアリティにあふれたテーマかもしれません。
イサクの動揺は、「様々な名誉や称賛、肩書きは自分の死とともに、音を立てて崩れ去っていくだろう……」という虚無感にまで拡がっていきます。それは夢と現実が交錯する様々な幻想的なシチュエーションによって更に効果的に描かれていくのです。
しかし、この映画では今まで心に留めることさえなかった人々との出会いを通して、イサクが次第に心を解放し、心の空洞やわだかまりが埋められていきます。ベルイマン監督のその過程に至るまでの丹念な描写が本当に見事です!
全編を通してこの映画は静かな語らいの中で進行します。
音楽や映像がもたらす演出効果はほとんどありませんが、そんなことをすっかり忘れさせるほど映像は格調高く詩的な味わいに満ちています。この老人の辿ってきた人生を意味深く回想するのです。
人間の孤独や内面に光を照らす
イングマール・ベルイマン(1918-2007)
これまで、「野いちご」ほど哲学的なインスピレーションに貫かれた映画は見たことがありません。
人間の内面に光を照らした作品としては際立って優れています。たとえば、1人の人間の心の動揺や孤独を様々なエピソードやシチュエーションによって描き出すストーリーの展開は絶妙です。
ベルイマンの本質をしっかりつかんで離さない演出や脚本も見事ですが、何といっても老教授イサクを演じたヴィクトル・シェストレムの演技が素晴らしく、どこまでが現実で、どこまでが演技なのか見分けがつかなくなるほど役柄に没入しています。
この映画の撮影時は健康状態が優れず、それを考慮してロケもたびたび変更になったようですね。そして映画の公開を見届けるように亡くなり、文字どおり彼の遺作なのですが、老教授イサクそのもののような入魂の演技は映画史上に永く記憶されることでしょう。
過去、映画名作選10傑というような特集が雑誌で組まれると、この作品は必ずといっていいほど選ばれたものでした。でもその理由も分かる気がします。
確かに映像で人間の心の内面を描くことは至難の技です。ともすればありきたりのつまらない作品になったり、何を言いたいのか分からない作品になりやすいのです。
けれども「野いちご」は人間の永遠のテーマである生と死、欺瞞、絶望、孤独、愛、安らぎ等を的確な演出、丁寧かつ大胆な手法を駆使して、深い感銘を与えてくれるのです。
現代の商業路線にはない映画
最近、ハリウッドの映画(おそらくハリウッドに限りません)が全体的に貧弱になってきています。観客動員数、興行収入もいいのですが、肝心の内容がいま一つだと、その時はよくても結果的には映画離れを促進させることにつながりかねません。
「昔は昔、今は今」、「見たくなければ見なければいんだよ」と言われればそれまでですが、商業路線が顕著にあらわれすぎているように思えて仕方がありません。どうも映画そのものに芸術性、メッセージ性が感じられなくなってきたようです。
そういう意味でもこの「野いちご」をご覧になれば、半世紀前にはこんな芸術的な映画もあったのか!と認識を新たにされるのではないでしょうか。
良質で、何年たっても忘れられない強いメッセージ性のある映画の登場が今の時代は願われているのかもしれません。