16世紀ベルギーの天才画家、ブリューゲルには『バベルの塔』と名づけられた大小2枚の名画があります。
この2枚の作品はいつの時代も、見る人に理屈抜きで堪能できる絵画ならではの面白さやメッセージを送り続けてきました。それは500年ほどが経過した現代でもまったく変わっていません。
今回は小さいほうのバベルの塔をメインに魅力やエピソードについてご紹介していきます!
人間の傲慢さと無力
ブリューゲルの小さいサイズの『バベルの塔』は、2017年4月に『ボイマンス美術館所蔵ブリューゲル「バベルの塔」展』と題して東京都美術館で公開されて話題になりました。
『バベルの塔』は、旧約聖書・創世記の格言を描き表したものです。そもそもバベルの塔とはいったい何だったのでしょうか…。聖書の内容を要約すれば、おおよそ次のようになるでしょう。
神を恐れぬ人々が集って言った、「さあ、我々の街に天に届くほどの塔を作ろう。あらゆる地に散って、消え去ることがないように、我々の名を轟かせよう……」。
神は、そのようすを見て仰せになった。「彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。決してやり遂げられないこともあるまい」と。
「ならば彼らの言葉を混乱させよう。彼らが相手の言葉を理解できなくなるように」。
主はそこからあらゆる地に人を散り散りバラバラにされたので、彼らは街づくりを取りやめた。
後にこの街はバベル(混乱を意味する)と名づけられたのである。(旧約聖書:創世記1章から内容を要約)
結局、バベルの塔は人間の負の遺産と考えたらいいのでしょうね…。神を恐れない人間の傲慢さと無力さを痛切に皮肉ってもいるのです。
またバベルの塔の出来事がヨーロッパやアフリカ、アジア、アメリカなどのように多種の民族、人種、言語を持つようになった起源だとも言われることがあるのです。
驚きと発見の絵画
ブリューゲルの絵は現存する作品の数が少ないため、展覧会を開催すること自体が困難だとよく言われています。
しかし、『バベルの塔』のような残された絵の存在感や充実度は抜群で、絵を見る楽しさや驚き、発見を無尽蔵に与えてくれる画家の一人かもしれません!
絵が心に眠るイマジネーションや好奇心を呼び覚ますものであるとすれば、ブリューゲルこそはそれにふさわしい画家だといえるでしょう。
「バベルの塔」はスケールの大きいテーマを扱っていますが、原寸は意外にも小さい(特にボイマンス美術館所蔵分)ことに驚きます。しかし、ここに込められた絵としての魅力は尽きることがありません。
豆粒のような大きさの人間に対して、空に届くような勢いで建設が進む塔の威容!
この両極端なシチュエーションはとてつもない驚きと不思議な感覚を与えます!
ここでは両極端な要素を緻密に配置することにより、一層の効果をあげてますね。なんとも心憎い演出です……。
その演出の見事さは、知らず知らずに追体験のように絵の中に身を置いている自分を発見することで気づかされるのです。
対照的なテーマは見るものを興奮のるつぼに引き込まずにはおかないでしょう。
コロセウムへの想い
ブリューゲルはこの絵を描く約10年前にローマを訪れています。このとき受けた衝撃は相当なものだったようですね。
アントワープに戻った彼はヒエロニム・コックがローマの名所を描いた版画の数々を見たそうですが、創作意欲を刺激されたのでしょう!
彼は1560年代に『バベルの塔』をテーマにした渾身の力作を二つ描きあげます。それが有名なボーンマス美術館所蔵の小さい絵とウィーン史美術館所蔵の大きな絵だったのでした。
ブリューゲルが描いたバベルの塔は、コロセウムなどの巨大設備で使用された典型的なローマ建築技法でした。それは巨大なレンガの土台と石のファサードを散りばめたローマの史跡によく見られるものだったのです…。
ブリューゲルは建築についても造詣が深く、施工や組み立てなどのようすを臨場感豊かに描くことが出来たのも大きなポイントでした。
その緻密さが、絵に壮大なスケール感や説得力を生み出す要因にもなったのも間違いないでしょう!
秀逸なディテール
忘れてはならないのが、丹念に描かれたディテールの見事さでしょう!
特に豆粒のように点在する人間たちの様々な生態を描いたドラマの部分にはほとほと驚かされます。
ブリューゲルはこういった些細なところも一切手を抜くことがありませんね。それによって驚くようなリアリティとドラマが生まれるのです。
また情報量の尋常でない多さにも驚かされます。塔を建設するにあたって払われたであろう人々の悲哀や苦闘といったものがこの一枚の絵からも脈々と伝わってくるではありませんか……。
背景の澄み切った空や遠くに見える港に停泊する物々しい船舶の雰囲気も塔の威容と存在感を更に引き立てているのです。