バッハ記念行事の出会いが生んだ傑作・ショスタコーヴィチ「24曲の前奏曲とフーガ」

運命的な出会いと作品の誕生

 Soviet composer Dmitri Shostakovich poses during a recording session for the French record label Pathe Marconi, in Paris, May 23, 1958. Russians observe the 100th anniversary of Shostakovich’s birth on Sept. 25. (AP Photo) フランスのレコードレーベルで録音セッション中のショスタコビッチ(1958年5月23日、パリ)

 

1950年に バッハ没後200年記念行事が、ドイツのライプツィヒで開催されていたときのことです。

20世紀の大作曲家、ショスタコーヴィチはソビエト連邦(現在のロシア)の団長として、また同時に開催された第1回国際バッハ・コンクールの審査員として参加していたのでした。

そのコンクールで優勝したのがロシアのピアニスト、タチアナ・ニコラエーワでした。

ショスタコーヴィチは彼女の演奏を聴きながら、その類まれな芸術性や才能にすっかり魅せられてしまいます。そして漠然としていたある一つの構想に強いインスピレーションを受けるきっかけともなったのでした。

それはかつて、対位法の習作として練っていたピアノ作品の構想を、彼女のピアノ演奏で実現することだったのです

対位法とはひとつの旋律を奏でるときに、主旋律と対旋律がキレイに調和して聴こえるように音のバランスを組み立てる技法のことです。

古くはルネッサンスの巨匠パレストリーナが対位法を採り入れ、バッハがその技法を完成の域へと押し上げていったのでした。

つまりショスタコーヴィチは、ニコラエーワならば、自分の意思を完璧に再現し、その成果を強く確信出来る演奏をしてくれるに違いないと実感したのでしょう……。

ショスタコーヴィチは帰国後、さっそくニコラエーワに連絡をとり、自身の作品の演奏を依頼するのでした。

そしてこの作品は、作曲家とピアニストの強いリスペクトや信頼関係で成り立っていたことは言うまでもないでしょう。

ニコラエーワは一曲ずつ完成するたびに作曲家の目の前で弾いてみせたようです。それがどれほどショスタコーヴィチを励まし勇気づけたかは想像に難くありません。

文字通り、作曲家とピアニストとの幸福な共同作業で実現した作品だったのでした。

 

音楽の小宇宙

 

 

「24の前奏曲とフーガ」は言うまでもなくバッハの「平均律クラヴィーア曲集」のスタイルを踏襲した作品です。

それでは平均律の二番煎じなのかと言えば、まったくそうではありません。

倣ったのはバッハの音楽的試みや精神であって、対位法という音楽の体裁だけなのです。

作品の性格はどこまでもショスタコーヴィチ独自のもので、軽妙で晴れやかなプレリュードがあるかと思えば、深い心の嘆きやたとえようのない哀しみを背負ったフーガもあります。

しかもそれぞれの曲には豊かな人間感情が流れていて、心解き放たれた喜びの感情も表現されているのが彼の他の作品にはない魅力でしょう。

ここにあるのはショスタコーヴィチの願いや想いが一つになった心の日記なのかもしれませんね。ひととおり聴いた後の満足感はたとえようがありません。

たとえば、第1番のプレリュードの開始から穏やかで愛おしさに満ちた旋律が心をなごませます。

また第6番フーガでは哀しみと慰めが共存する美しい旋律が印象的ですし、第7番や第8番のプレリュードの何という抜群のセンスでしょうか…。

第10番フーガのはかりしれない広大な空間にこだまする神聖な余韻と祈り……。

第12番フーガの悲しみを振りほどきながら前進する壮絶な感情には凄みさえ伝わってきます。

 

ニコラエーワ唯一無二の名演

 

 

さて演奏のほうですが、やはり作曲家の意図や想いを掌握しきったニコラエーワの演奏が断然素晴らしいですね。

言うまでもなく彼女はこの作品の初演者です。

ニコラエーワにとっても、この作品は終生変わらない大切な心の音楽であり続けたのでした。

1993年アメリカのリサイタルで演奏中に倒れ、数日後に帰らぬ人になってしまいます。そのときに弾いていたのも、この「24の前奏曲とフーガ」でした。まさに彼女にとって運命的な関わりを持ち、人生を変えた作品だったのでしょう。

レコーディングは3回行われましたが、中でも1987年にクリアな音質のデジタル録音で残されているのはうれしい限りです。

バッハの平均律でも屈指の名演奏を残しているニコラエーワですが、この演奏も素晴らしいの一言です。

 

バッハの平均律よりさらに雄弁で、曲の隅々まで知り尽くした自信と愛情が豊かな音の発露となって溢れ出てくるようです。

表面を取り繕ったり、抜群のテクニックを誇示しようとする意識は毛頭感じられません。作曲家の精神をどこまでも伝えようとする深い心の息吹がどの曲からも生き生きと伝わってくるのです。

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