バッハ作品の原点
平均律クラヴィーア曲集は、多くの傑作を残したバッハにとって作曲の原点であり、特別な位置を占める作品でした。
それは彼のライフワークでもあるピアニストたちの練習に約立つことや、これからピアノの基礎をしっかり学んでいこうとする音楽家たちにとって、充分に学ぶ意味のある音楽を提供することでもあったのです。
もちろん一般のリスナーや音楽ファンにも多くの示唆を与え、感性を刺激する味わい深い作品であることは間違いありません。
音楽を社会に根づかせ、啓蒙する役割を果たし、深い感動を与える唯一無二の傑作なのです。
平均律第2巻を作曲した頃のバッハは創作環境としては恵まれたケーテンを離れ、空席だったライプツィヒの教会のカントル(教会の合唱指揮者・音楽監督)を任されていた頃でした。
第1巻はケーテン時代の置き土産のように作曲されたのですが、第2巻を作曲した時、前作からすでに20年の歳月が過ぎていました。
これほどの歳月の隔たりがあれば、当然のように気持ちの変化や創作意欲の欠如が出てきたとしてもおかしくないのですが、この作品に関する限りバッハは少しも変わっていなかったのでした。
ピアニストの試金石 バッハの平均律クラヴィーア曲集は、彼のクラヴィーア作品の中で特に重要な作品です。無限のイマジネーションと真摯な宗教性が融合した不朽の傑作といえるでしょう! 19世紀の指揮者兼ピアニストのハ[…]
より自由に柔軟に
第2巻は第1巻に勝るとも劣らない祈りに満ちた雰囲気と豊かな叙情が全編を貫いています。しかも第1巻にはない行書的な自由さが随所に現れているのです。
中でも第1番プレリュードはバッハのこの作品に賭ける想いを感じとることができます。
少しずつ装いを変えていく美しさに満ちた前作のプレリュードは魅力的でした。
本作のプレリュードでも無限に広がる地平を想わせる確信に満ちた響きが、充実した世界観を描き出していくのです。 朝露を浴びた木々の葉がキラキラと輝き出すような希望に満ちた第2番のプレリュードも新鮮に響きます。
第1巻ではオルガン的な響きや神聖な雰囲気が深い瞑想や静寂を表していました。しかし、この第2巻では第1巻にはなかったゆとりと自由な曲想が作品に多様性をもたらし、より普遍的な感動と発見をもたらしてくれるのです!
平均律クラヴィーア曲集は曲の形式や構成の素晴らしさによって、あらゆる音楽を愛する人のピアノ演奏の源泉になっていることは間違いありません。
ひとつひとつの曲の芸術的な品格や味わい、人生の真理の一端を結晶化させたような感性の深さが、愛される大きな要因と言えるでしょう。
聴きどころ
第1番ハ長調・プレリュード
哀愁と穏やかさが漂う旋律が心をひく。無限に湧きあがる想いがモノローグのように展開され、この作品全般の充実した世界観を描き出していく……。
第3番嬰ハ長調・プレリュード
心に寄り添うような主旋律と音階を少しずつ駆け上がる対旋律の魅惑が心を捉えて離さない! 時の流れとともに美しく変化する情景が浮かび上がる。
第7番ホ長調・フーガ
教会の鐘の響きを想わせる主題が穏やかで平和な空間を描き出す。
第9番ホ長調・フーガ
揺るぎない造型と絢爛たる響きに魅せられる。中間部の叙情も印象的。
第16番ト短調・フーガ
ひとつのテーマがみるみるうちに発展し、多彩な音の饗宴となっていくようすが圧倒的! ピアニストも洞察力、集中力が要求される…。
第22番変ロ短調・フーガ
不協和音がうごめき、様々な感情が音となって行き交う中で、ひとつの道筋ヘ向かって流れていく求心力が凄い。
第23番ロ長調・フーガ
カノン形式の進行が冴えるフーガ。中間部の多彩な変化と発展も見事!
オススメ演奏
グレン・グールド(ピアノ)
Bach: The Well-Tempered Clavier, Books I & II
この第2巻で最も素晴らしい演奏として記憶されるのがグレン・グールドのCDであることは間違いありません。
第1巻では表現自体は抜群であるにもかかわらず、禁欲的なバッハの作品の性格に対して少々違和感があることが否めませんでした。しかし、この第2巻ではあらゆる部分の表情が生き生きとしながら作品の本質と無理なく溶け込んでいることがわかります!
もちろん、グールド特有の寂寥感やデフォルメした表情も作品の魅力を引き出す上でプラスに作用しており.その表現力と音楽性に圧倒されます!
特に素晴らしいのは第1番プレリュードとフーガです。
この第1番はともすれば平均律という作品のステータスに押されて萎縮した演奏になってしまいがちですが、グールドの演奏はプレリュードの出だしから彼の感性のフィルターによって炙り出された抜群の雰囲気を湛えた音楽となっているのです。
寂寥感とともに心の奥底に強く印象付けられる音楽になっているのです。
また第16番ト短調のフーガも委細構わず突き進む硬質な音の迫力が独特の魅力を醸し出します!
ジル・クロスランド(ピアノ)
一度聴いただけだと、何の変哲もない普通の演奏に聴こえる……。しかしその淡々と弾く演奏の中にどれほどの情感が込められていることでしょうか!
余計なデフォルメや誇張を排除した結果響いてくるのはひたむきで寛容な音楽なのです。
エフゲニー・ザラフィアンツ(ピアノ)
プレリュード〜《平均律クラヴィーア曲集》を巡るあるピアニストの心象〜
エフゲニー・ザラフィアンツのCDは第1巻で紹介した通り、第1巻と第2巻から同じ調のプレリュードを12曲ずつ選び、計24曲を収録したものです。
ゆったりとしたテンポで情感豊かに歌われる演奏ですが、細部までよく彫琢された美しい演奏です。他の演奏でもの足らないという方には様々なインスピレーションを与えてくれる名演といっていいでしょう!