忘我の表情を浮かべる悲劇のヒロイン J・E・ミレー 『オフィーリア』

「オフィーリア」J・E・ミレー 1851-1852年 ロンドン、テート・ブリテン

『ハムレット』のヒロイン

Sir John Everett Millais 1829-1896

 

センセーショナルで一度見たら忘れられない絵画ということでしばしば話題になるのが、ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」です。

彼はイギリス・ラファエル前派の代表的な画家として知られています。

そのミレーの作品の中でとびきりの傑作として有名なのがここに紹介する『オフィーリア』ですね。

おそらくミレーの名は知らなくても、この絵を知っている人は少なくないかもしれません…。

『オフィーリア』はシェークスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物のひとりです。

 

ある日、ハムレットに父親を殺されて精神錯乱状態に陥ったオフィーリアはふらふらと小川にやってきます。

何を思ったのか、いろいろな花で花冠を作って、シダレヤナギの枝にかけようとして木によじ登った瞬間に枝が折れてしまいます。

川に落ちたオフィーリアはそれがもとで溺れ死ぬのでした。

この絵はまさにオフィーリアが川に落ちて流されてゆく一瞬の光景を描いた作品なのです。

入念な準備と演出効果

作品のモチーフになったホッグスミル川 Photo credit:diamond geezer on Visual Hunt

 

まず、目を見張るのがシチュエーションの設定が緻密であることと構図が斬新なことです。

特に緑の草花が生い茂っている川辺の様子がみずみずしくも美しく描かれていて、目に焼きついて離れません。

繊細な筆のタッチや彩度の高い色彩が生き生きとしていて、あらゆる部分が気品に満ちあふれているのです。

徹底的にこだわりぬいて描かれた絵だということが一目瞭然ですね。

実はこの絵のモデルはイギリス・サリー州イーウェル市のホッグスミル川にありました。この川辺の情緒や雰囲気を写し取った丹念な描写こそが『オフィーリア』の原点であり、成功の大きな要因といえるでしょう。

 

悪条件に悩まされながら完成

しかし、制作にとりかかったのが冬ということもあり、作画中は悪天候や環境の悪条件に悩まされ続け、何度も断念せざるを得ないような状況に陥ったようです。

しかし絵から伝わる並々ならない気迫や感情移入の深さはそのような事実を微塵も感じさせません。

構図の美しさも秀逸です!

画面を左右に分割する水平線の構図はたとえようのない落ち着きと静けさを生み出しています。

その水平線上にぽっかりと顔を浮かべるオフィーリアの表情があまりにもリアルで強烈にひきつけられてしまいます。

彼女は川に沈んでゆく間、何を思っていたのでしょう……。

虚ろな表情にも、安堵の表情にも、一瞬の淡い夢を見ていたのか恍惚とした表情にも見えます。

かぐわしいほどの美しい情景描写を用いながら、美のはかなさと生きることの不条理、現実世界の非情なまでの美しさを画面上で対比させて見事な効果をあげているのです。

 

モデルとのいざこざも……

Dante Gabriel Rossetti: Beata Beatrix(1864-70)ロセッテイ作:ベアタ・ベアトリクス (エリザベス・ジダル)1863頃/テート・ギャラリー蔵

 


「オフィーリア」のモデルになったのはラファエル前派の有名なモデル、19歳のエリザベス・シダル(後にラファエル前派の画家、ロセッテイの妻)でした。

ミレーはロンドンの自分のスタジオで、水をいっぱいに張った浴槽に寝かせて描いたそうですね。

ちょうど時期が冬だったため、彼は水を温めるランプをいつも置いていたのですが、ある日、作品に入り込みすぎて火が消えたことに気づかず、シダルは厄介な風邪をひいてしまいました。

それをめぐり、彼女の父親から多額の治療費を請求されて支払った経緯もあるようです。

こういう多くの気苦労や過酷な状況で描かれた絵だけに、並々ならぬ緊張感が漲っています。

誰が見ても虜になるような美しく神秘的なオフィーリアの表情が胸を打つのは当然と言えば当然でしょうか……。

エピソードには事欠かない作品ですが、この絵は写実的な美しさはもちろん、アールヌーボー的な洗練された様式美を持った絵でもあることを付け加えておきたいと思います。

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